産業化から上下水道を考える(上)

早稲田大学水循環システム研究所、佐藤裕弥准教授に聞く

 私たちの暮らしに上下水道はなくてはならないインフラです。その大切さを日常生活で気にかけている人は少数派だと思いますが、日々その恩恵を享受しながら暮らしています。しかし、そんな“あって当たり前”のインフラが、存続の危機に直面しています。施設は老朽化し、水道管が破裂して水が噴き出したり、下水道管の劣化が原因で道路が陥没したりする事故が後を絶ちません。運営主体である自治体では職員が不足し、日々の運転やリニューアルの予算も足りません。なのに値上げしたり、効率化のために民間企業に委託すると言うと、反対意見が上がります。一体どうすれば上下水道サービスを持続させられるのでしょうか。この問題に「産業化」の視点から切り込んだのが、著書「新しい上下水道事業 再構築と産業化」(中央経済社)です。3人の執筆陣へのインタビューを3回にわたってお届けします。まずは、産業化に着目した早稲田大学水循環システム研究所の佐藤裕弥准教授に伺いました。

行政組織に組み込まれた上下水道から脱却し
自立した組織を目指す、それが「産業化」


――そもそも産業組織論はどのような学問なのですか。

「経済学系の学部では一般的に扱っている研究領域です。経済学は自由競争が前提ですが、政府が規制という形で介入する産業があります。例えば、鉄道や電気、ガスなどは料金設定に政府の許認可が必要です。その中で、どこまで市場の自由に委ねるのか、いかに規制と自由競争の調和を図るのかが1つのテーマとなります。また、公共施設や公共インフラにおいては、コンセッション(注:施設は官が所有したまま、運営権を民に付与する)や民営化といった経営形態、料金の決定方式のあり方などが研究対象となります。

欧米では上下水道も産業組織論の中で研究されてきましたが、日本では上下水道は市町村固有が基本なので、市場競争という概念がなく、研究者も少ない。航空やバス事業の自由化に比べると変化が少なく、必ずしも研究が充実しているわけではありません。しかし、改正水道法案でコンセッションが提案され、下水道では広域下水道の概念が広がっている現状を見ると、日本でも上下水道の規制のあり方が変わりつつある、新しく研究を深める時代に差し掛かってきたと言えるでしょう。

その際に必要となるのが『産業化』という概念です。日本では上下水道が行政組織、都市計画に組み込まれているので、行政の政策や都市計画としての位置づけが比重を占めており、産業の視点が弱かった。今後は、産業としての軸足を明確にしていくことが重要です」

――「上下水道を産業化する」とは、具体的には?

「産業化とは民営化を意味するものではなく、1つの組織体、企業活動の方向性として、今よりも自立的に発展していくことを目指すということです。今の上下水道は、国や公共団体の財政事情等の影響を受けています。その点で、自立した経営に一定の制約があります。

職員にしても、一部の大都市は専門家をそろえていますが、日本全体で見れば公務員試験で採用された人がたまたま上下水道に配属されているだけなので、職員は上下水道組織ではなく、行政組織の一員という意識が強い。民間が行っている電力やガスに比べ、まとまりを持った組織としてはまだ成長途上です」

上下水道事業体が経営権を持ち、人員増強と適正料金を実現すべき


――産業化に向けて、まず取り組むべき課題は何ですか。

「これから人口が減少していく中で、ヒト・モノ・カネの経営の3要素をどう配分していくかが重要です。以前から認識されていた問題ですが、例えばヒトの場合、上下水道の事業体が行政組織の一部ということもあり、独自に技術者を補充することができていません。1つの組織体としての持続を考えていくのであれば、人員の増強、財政基盤の充実・強化に今まで以上に積極的に取り組むべきです。

水道料金や下水道使用料は、法律では原価主義の考え方を基礎とすることになっていますが、現実には議会の議決を経なければ適正料金を実現できません。法の趣旨と現場の運用が合致していないのです。ここを現行の法律の範囲内で改善していくことが優先課題です」

――産業化によって上下水道はどう変わるのでしょうか。

「今の公営という組織形態が必ずしも悪いわけではありません。しかし、代表権と業務執行権を持つ公営企業専任管理者を設置していない団体が多く、設置されていても実質的には知事や市長が中心となっていたり、議会に組み込まれたりして、法律上予定されている代表権、執行権を執行できる状況ではありません。そこを見直すことは重要です」

「公営か民営か」ではなく「公営でも民営でも」
官と民の役割分担の見直しがサービス維持のかなめ

――官民連携は進むのでしょうか。

「これまでも民間企業との官民連携が行われてきました。今後は地方公共団体が支えきれない上下水道事業の登場も想定されますので、これまで以上にその担い手を民間に求めることは考えられます。そう言うと『公営か民営か』の二元論が出ますが、それを議論しても良質なサービスの維持にはつながりません。そうではなく、住民サービスの充実・強化、出来る限り安い適正料金で維持継続できる方向性を見据え、官と民が役割分担を見直すべきです。

これまでは全国すべての事業体が普及率の向上を目指すことで、広く住民サービスを実現できました。人口も増加していましたので、地方であっても基本的には一定程度のサービスを享受できました。しかしすでに人口減少に転ずる中で、規模の小さい公共団体からいち早く疲弊し、住民サービスの維持継続が困難になっていきます。

その時に、官の役割を拡大するのか、あるいは逆に縮小するのか、民への依存度を高めるのか低めるのか。1つの組織として上下水道サービスをいかに守るかを考え、地域の実情に応じた最適な組織形態を選択し適用していくことが重要です。

経済学では簡単化していえば消費者利益、住民利益がどれだけ高まっていくかに重きを置きます。安全で安心で安価を実現し、持続できるなら、公営か民営かは大きな問題ではありません。どちらにも長所短所がありますから。少なくとも学術的には、官がいいか民がいいかに決着はついていないのです」

民間の活躍できるフィールドは広がる
料金やサービス水準を監視する独立機関が不可欠


――公共団体と企業それぞれの役割、あり方も変わっていきそうです。

「一定の経営規模があり、経営資源が充実した地方公共団体では、産業の発展でさらに強みを伸ばせます。水道広域化で中心的役割を担い、周辺の市町村へと活躍のフィールドを広げていくという方向性もあるでしょう。

規模の小さいところは、自らは役割を終え、周辺の団体に委託することでサービスを持続できます。その場合の委託先は他の地方公共団体かもしれないし、民間企業かもしれません。

民間企業はこれまでは、機材の納入など上下水道の業務の一部の担い手でしかなかったわけですが、これからは限定的ではなく、事業体になり替わってマネジメントの一部を担うまでになるでしょう。活躍のフィールドは着実に広がっていきます。

 ただし、管理全般にかかわった経験が日本企業にはありません。そこがマネジメント経験を持つ外資系企業との違いです。今は一部の運転管理業務からマネジメント業務への移行期にあります」

――コンセッションのように民への依存度が高まったら、料金が値上がりしたり、サービスが低下するとの意見もありますが。

「サービス水準が低下しないような監督機能が備わっていれば問題ないと思います。諸外国では公益事業委員会といって、公益事業の料金決定にまで介入できる独立官庁があります。それが日本にはないので、今後民間が運営する上下水道を展望するなら、同様の独立機関の設置を考えないといけません。

一方、上下水道料金ですが、今は安価に設定されていて、適正な価格ではありません。料金は議会の議決で決められているので、そこで決まった料金が適正であるとみなすほかないからです。だから安ければいいわけで、値下げで住民の理解を得ようとする首長や議員がいるのも事実です。このような政治的色彩から一線を画し、合理的な経営に軸足を移していけるか、一定のルールに基づいて合理的な料金を実現できるか、それが日本に必要な部分です。

電気やガスが震災等で大きな影響を受けても自立できているのは、適正な料金を徴収できていたからでしょう。ルールに基づいていれば料金改定もできます。同じ公益事業なのに自立という点では歴然とした差が表れています」

――電気やガスも時々値上げしていますが、上下水道が値上げすると言うと比較にならないほど過敏な反応が現れますね。

「一定のサービスの対価は負担してもらうという意識が、官側だけではなく住民側にも欠けていたのかもしれません。最近は災害が多く、断水被害も増えていますから、住民もインフラの重要性に気づき始めています。適正な料金負担があっても安心して使える上下水道を望む声は、これから強まっていくのではないでしょうか」

将来的には電気、ガスなどと融合しマルチユーティリティ化も

――上下水道に携わる方々の意識も変わらないといけません。

「まだ多くはありませんが、強い危機感と意識を持った人が増えています。それらの方々の意識を共有し、組織に人材を定着させる。そこからようやく産業化を実行できます。

人材育成も重要です。早稲田大学では商学部の授業で学部学生の時期から、上下水道に関する経済学的な授業の場を設けています。学生の関心は高いですよ」

――上下水道が産業化すると、すでに産業化が進んでいる電気やガスなど他の公益事業との融合が進みそうです。

「一部の諸外国では、電気、ガス、上下水道などを統合して運営するマルチユーティリティは一般化されています。日本でも電気、ガス、上下水道は制度の枠組みとマネジメントに共通点が多いので、将来的には融合していく方向性も案としてはあると思います」

――ありがとうございました。

聞き手:Mizu Design編集長 奥田早希子

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