水負荷を減らす泡をデザインせよ

【商品開発×水のストーリー】(2)花王

製造段階で使う水、商品の使用時に使う水、そんな水を意識したからこそ生まれた商品がある。花王では「泡」をデザインすることで、水の使用量を減らせる商品開発を進めている。「泡博士」の異名を持つ基礎研究センターマテリアルサイエンス研究所の坂井隆也主席研究員に泡と水との関係を伺った。

花王株式会社 基盤研究セクター マテリアルサイエンス研究所 坂井隆也主席研究員

泡立ちが良いほど洗浄力は高い?

――そもそも「泡」とは何ですか?

「花王で扱っているのは洗剤の泡ですが、ビールの泡もありますし、スポンジもホイップクリームもシャボン玉も泡です。見た目は異なりますが、泡ができるメカニズムは同じ。液体の中に取り込まれた気泡は、普通なら浮力で浮いて水面で割れてしまいますが、気泡の周りを洗剤の成分である界面活性剤の分子で包むと割れず、1つの泡ができます。それがたくさん集まると、よく目にする泡になります。海外ではシャボン玉のような1つの泡をバブル、いっぱいの泡をフォームと言いますが、日本ではどちらも泡と呼ばれます」

(左) 単に水中に気体が取り込まれただけでは泡は形成されません。(右) 界面活性剤が気体を包むと安定化されて泡が形成されます(花王提供)

――洗浄には泡が欠かせませんね。

「いえ、実は泡立ちと洗浄力は無関係というのが学術的には常識なんですよ(その常識を覆す最新の研究結果は後程)」

――えっ?!そうなんですか?!

「泡がなくても洗うことはできるんです。確かに髪の毛が汚れている時のシャンプーは1回目は泡立ちが悪く、2回目で泡立ったりするので、泡立ちが洗浄に欠かせないように思えます。でも、これは泡立ちが悪かった1回目で汚れが落ちているということです。なので、洗浄力と泡は関係ありません。

衣料用洗剤を思い浮かべてみてください。衣料用洗剤『アタック』は当社の中でも洗浄力の高い商品ですが、洗濯槽の中が泡だらけになることはありませんよね。逆に泡立ちすぎると洗濯槽や排水口から出てきて大変なことになります。

かといって泡立たないシャンプーでは満足できないので、やはり泡は必要です。つまり、泡は泡立つこと自体に価値があるんです。泡があることで、ふわふわと優しく洗えている感じ、気持ちよさ、心地よさ、安心感が得られます。泡はそうした様々な感性価値を与えてくれるコミュニケーションツールなんですね。かつて欧米では生活の豊かさの象徴として、泡のお風呂は憧れの対象でもありました。そう考えると、泡をデザインすることは一種のエンターテインメントでもあると思います」

泡を設計することは界面活性剤を設計すること

――長らく泡のデザインに携わってこられ、今では「泡博士」と呼ばれるようになったわけですが、泡にこだわるきっかけは何だったのですか。

「20年ほど前、見たこともないくらい泡が立つ界面活性剤を作れと言うミッションを受けました。会社に入ったばかりの頃で、何をどうすれば分かりません。当時はどの界面活性剤を使えば泡立ちがよくなるのか、泡立ちの良さ、泡もちの良さとはどういうことなのか、泡を消すにはどうすればよいのか、そうした現象としての泡の研究はなされていましたが、どれも方法論、ノウハウの集合体で、科学的なアプローチはできていませんでした。

特に界面活性剤が泡立ちにどう働いているのかについては分かっていなかったので、私は、界面活性剤のどの分子がどう泡を作り、泡をもたせ、消せるのかを徹底的に解明しよう、それができれば花王の製品すべてを科学的にコントロールできると考え、研究に没頭してきました。

泡をデザインするために、界面活性剤からアプローチしたわけです。界面活性剤の分子構造を変えてみたり、混合する界面活性剤の種類やその比率、濃度を変えたりすることで、今では泡だち、泡の安定性、一般にはコントロール不可能と言われている泡質までもコントロールできるようになりました」

たくさんの泡で洗って少しの水ですすぎたい

――研究を始められた頃と比べ、泡への要求が変わってきたところはありますか。

「10年くらい前から時代が変わってきていて、先ほど述べた泡の3つの性質(起泡力、安定性、泡質)に加え、泡切れの良さが求められるようになっています。泡はたくさんあってほしいけど、何度も水ですすぐのは嫌ですし、エンターテインメントの泡を流すのに大量の水を使うのはもったいない。

ちょうどその頃、2009年に花王は環境宣言を出しました。それまでも工場での環境対応、排水処理には取り組んでいましたが、お客様が家庭で商品をご利用いただく場面まで含めて、商品のライフサイクル全体で環境に配慮しようということを打ち出したんです。

その理念を具現化した商品が、台所用洗剤の『キュキュット』です。初めて泡切れの良さを組み込んで設計した洗剤で、泡立ちも良く、泡切れも良い。本来であれば泡が多ければ多いほど、泡切れは悪いはずなんです。この相反する性質を同時に実現できたことは、社内でも業界内でも衝撃でした」

泡立ちの良さと泡切れの良さを同時に実現した『キュキュット』(花王提供)

――特別な界面活性剤が使われているのですか。

「いいえ。使っているのは普通に売っているものだけです。ただし、混ぜ方や混合比率などの処方技術に、我々のノウハウが詰まっています。

泡立ちの良さと泡切れの良さの両立は非常に難しく、開発研究所が開発に着手してから完成まで6年がかかりました。私自身も最初は『そんなことできるのか』と思いました。ですが一方で、それまでに積み重ねてきた研究を通して、割れやすい泡がどういうものかということに薄々気づいていました。そこそこの泡立ちの泡は消えにくいのですが、とてもしっかりとした泡が立つ界面活性剤の使い方をすると泡が消えやすいんですね。そこから開発につなげました。

 泡立ちが良いということは、洗剤の使用量を減らせるということです。また、泡切れが良いということは、泡を流すための水の使用量を減らせるということです。『キュキュット』では、すすぎ時の水使用量を従来品より約30%減らすことができます。商品のライフサイクル全体で環境への負荷を減らせる商品として、花王独自のエコマークが付与されています。

その他『バスマジックリン』やシャンプー、ボディソープなど、泡立ちと泡切れを考えた商品開発を進めています。また、衣料用洗剤『アタックネオ』ではすすぎ1回を業界で初めて実現しました。今後も家庭での水の使用量を削減できる商品開発を続けていきたいと思います」

常識を覆した泡の“機能デザイン”

 ――今後はどのような泡をデザインしたいですか。

「泡の研究に関しては、大学では2次元の膜(泡膜)の研究が中心です。それを目で見える3次元の泡を制御する技術を我々は確立してきました。今後はそこに感触などの感性価値制御や、別の機能価値を加えて一歩先の泡設計技術を作りたいと考えています。

その第一弾と言える商品が『ソフィーナクッション泡洗顔料』です。500円玉が乗るほどの非常に濃密な泡が特色で、こんなに硬い泡で汚れが落ちるのかと問い合わせが来るほどの驚きの泡です。実は驚きはそれだけではありませんでした。洗浄力を証明するために実験を行ったところ、冒頭でお伝えした“泡立ちと洗浄力は無関係”という従来の常識を打ち破る結果が得られたのです。

実験は、泡をスライドガラスに挟んで、そこに油を流し込むというものです。油と接触すると泡は割れるのが常識なのですが、この泡は壊れず、油が泡に吸い込まれていきました。本当に衝撃で、著名な教授にこんなことあるわけがないとまで言われました。その後、このメカニズムを解析して論文発表*したところ、日本化学会「技術進歩賞」をはじめとするいくつかの賞をいただくことができました」

オレンジ色に着色した液体油が、画面右手から泡の中に取り込まれていく様子です。泡は油に触れた瞬間に割れるというのが常識でしたが、濃密な泡は割れることがなく、油が泡に吸い込まれています。まさに常識を覆した瞬間をとらえた写真です(花王提供)

――界面活性剤は河川の水質汚染につながるという指摘もあります。

「確かに古くから環境への影響は取り上げられてきましたが、そうした課題を一つづつ解決してきた結果、現在当社が使用している界面活性剤は生分解性が良好で、水生生物に影響のないものだけです。とはいえ、界面活性剤の使用量はもっと減らしていきたい。そうすれば、使用原料を減らすことにもなりますので、世界中のもっと多くの方々に、優れた洗浄剤を使用してもらえるようになります。『アタックネオ』使用時の界面活性剤の濃度は数百ppm、ボディソープなどは3,000~3万ppmですから、0.3~3%程度です。それを10分の1にしたいですね。

界面活性剤も水も少しの量で泡が立ち、すすぐ水も減らせる。より少ない量でより大きな効果を引き出す。それを『More with Less』と呼んでいて、これがこれからの時代に求められる泡のデザイン技術だと考えています」

* Journal of Physical Chemistry B 2014, 118(31), P.9438-9444
(聞き手:MizuDesign編集長 奥田早希子)