2020年10月に菅首相が「2050年カーボンニュートラル」を宣言し、日本社会全体が波を打って一気に脱炭素社会へと動き始めた。下水道事業は水環境保全、公衆衛生の確保、浸水防除など公的役割を担っているが、それを言い訳にはもはやできない。脱炭素を事業の根幹に根付かせなければ、脱炭素への道程で沸き起こる新たな産業に乗り遅れ、また、炭素排出事業から遠ざかろうとする金融機関の投資が得られなく恐れがある。
下水道事業は脱炭素にどう対応すべきなのか。中央大学人間総合理工学科の山村寛教授、横浜市温暖化対策統括本部の奥野修平副本部長、日本下水道施設業協会の堀江信之専務理事に議論していただいた。
その結果、産業構造や発注の仕組みなど、あらゆるものを作り変える下水道事業のグレートリセットの必要性が見えてきた。
この記事のコンテンツ
<テーマ1:ゼロカーボンの必要性>
■巨額のマネーが動くことに注視せよ
<テーマ2:自治体におけるゼロカーボン>
■脱炭素化への対応が都市成長の源泉となる
■コスト縮減が脱炭素化を加速させる
<テーマ3:ゼロカーボンがもたらす変化>
■産業の構造改革は避けられない
■動き出した投資家たち。脱炭素のない投資はない
■「脱炭素」なら公共発注でも優位に立てる
<テーマ4:ゼロカーボンへの意識改革>
■脱炭素を機に行政も仕事の「仕組み」改革を
■国際的な競争が意識改革をもたらす
<テーマ5:ゼロカーボン下水道に向けて>
■海外勢との差を埋めるにはい業種連携が欠かせない
■異分野との交流こそ脱炭素の近道だ
■「Gesuido as a Service」の発想で下水道事業の根っこを作り直す
■今こそ「下水道ビジョン」を作り直そう
参加者
奥野修平氏(右端)
横浜市温暖化対策統括本部 副本部長
堀江信之氏(左端)
日本下水道施設業協会 専務理事
企画・進行・執筆:奥田早希子(左から2人目)
(Water-n代表理事、「Mizu Design」編集長)
テーマ1:ゼロカーボンの必要性
巨額のマネーが動くことに注視せよ
――二酸化炭素の排出と地球温暖化との因果関係に対する疑問、カーボンニュートラルに対する反発も散見されます。まずはゼロカーボンの必要性をきちんと押さえておきたいと思います。
山村氏 IPCCはこれまで30年間、気温上昇や降雨現象、海面上昇、生態系破壊など、二酸化炭素排出が地球温暖化に与える影響を立証するための科学的な根拠を積み重ねてきました。それを受けた社会の反応として、当初はIPCCの報告を深刻にとらえる層と、そうではない層に2極化しました。
深刻派にはグレタさんに代表される若い世代が多く、世代間の危機感の違いからか、大人と対峙するムーブメントが起こりました。また、近年では、温暖化が日常に感じられるような形で実際の生活に影響をもたらしていることも、ますます人々の危機感を煽る結果となっています。
グレタさんの行動に対して賛否両論あると思います。しかし、当初、21世紀中にゼロカーボンを達成するとなっていましたが、民衆の活動等に押される形で、2050年というチャレンジングな目標年限が設定されるに至りました。科学的な根拠に加えて、政治的・経済的な影響により、50年ゼロカーボン目標が掲げられたことが重要なポイントだと思っています。
――経済リスクも想定されますね。
山村氏 脱炭素を主導するEUでは、環境を主要産業にする方針を早々に定め、脱炭素社会のルール提案、ならびにルールの世界標準化を積極的に仕掛けています。
カーボンニュートラルを実現するために、これから年間数千兆円の投資が必要となると言われています。そのマネーを、どの国が、あるいはどの企業が獲得するのか。新しい経済戦争が始まります。
ゼロカーボンを無視するということは、この巨額のマネーを取り逃がすことと同義であり、逆に追加コストを支払わなければならなくなる。このことも念頭に置くべきです。
――「温暖化を防止しよう」「地球を守ろう」という思いはもちろん大事ですが、そういう牧歌的な掛け声だけでゼロカーボンを語ることは危険ですね。巨額のマネーが動く、乗り遅れると経済戦争に負けるということを肝に銘じておかないといけません。
テーマ2:自治体におけるゼロカーボン
脱炭素化への対応が都市成長の源泉となる
――さて、日本では菅首相がゼロカーボン宣言をしたことを受け、自治体も動き始めました。中でも先陣を切っているのが横浜市です。横浜市はむしろ国の動きよりも早かったですね。
奥野氏 横浜市では、SDGsやパリ協定、更にはIPCCの1.5℃特別報告書の流れを受けて、大都市では初めて2018年10月に50年までの脱炭素化「Zero Carbon Yokohama」を宣言しました。
脱炭素社会への移行は、産業や暮らしに加えて、下水道を含むすべての都市のインフラシステムを脱炭素型に転換する必要があります。
かなり険しい道のりですが、それでも脱炭素を目指さないと世界から評価されなくなり、市外からの産業を呼び込むことが難しくなる。逆に脱炭素を軸として新しいシステムを構築すれば、企業誘致に繋がり、ひいては都市の成長に繋がると考えています。
18年10月に「2050脱炭素化」を掲げた当時は一部の業界からの反発もありましたが、あれから4年が経過し、日本政府も脱炭素を宣言した以降は潮目が変わり、国全体が一気に脱炭素化に加速しています。
50年までの脱炭素化も重要ですが、温暖化対策は直近の10年が勝負であり、30年までにいかに削減するかが重要となっています。横浜市では市の温暖化対策実行計画を再度見直し、さらに目標値を高めるための改訂に着手しました。
一方、国内では、420もの自治体が50年までの脱炭素化を宣言、その人口は1億1090万人にものぼります。そして、その対象には、下水道事業も含まれているため、これからは、国内ほとんどの下水道管理者がゼロカーボン下水道を目指すことになっている訳です。
――横浜市はいろんなことが日本の先駆けです。新しいことをやろうという雰囲気は、どこからもたらされるのですか。
奥野氏 横浜は日本開港の地であり、横浜をゲートウェイとして外国から新しいモノや文化、考え方が入ってきて、日本が開かれてきた歴史があります。その一つが近代下水道です。
横浜が昔から常に外からの風にさらされていたせいか、新しいものに挑戦したがる風土があるように思います。横浜下水道のOBにも、そういったフロンティア精神「横浜下水道魂」を持つ先輩方が多いですよ。
山村氏 議会では必ず投資に対する効果が問われると思いますが、ゼロカーボン施策の費用対効果はどのように説明されるのですか。脱炭素やSDGsは何というか「ふわっ」としていて、効果を数値で示すことが難しいように思います。
奥野氏 確かに脱炭素化にはお金かかりますが、世界の潮流である「脱炭素化は待ったなし」、躊躇していると「選ばれない都市」になり、座して死を待つだけです。
一方で先ほど山村先生も脱炭素と経済についてお話されていましたように、世界の金融が脱炭素産業への投資を進めています。つまり、脱炭素化は巨大マーケットであり、これからの成長分野ですから、企業や都市にとってもビッグチャンスなのです。
技術や仕組みでも、例えば太陽光発電設備や蓄電池も格段に性能が上がってきましたし、「初期投資ゼロ円モデル」のような仕組みも一般化しています。再エネの調達環境は日々革新的進化を遂げています。
――政策も技術も、新しいモノやコトを恐れずに導入されるのですね。
奥野氏 すでに世界の投資家は、石炭や石油など、温室効果ガスを大量に排出する事業を投資回収できない「座礁資産」としてダイベストメント(投資撤退)を行っています。
日本でもカーボンプライシング導入の議論が進められていますが、欧米などが国境炭素税を導入すると、いくら技術レベルが高くても買ってもらえなくなり、否が応でも脱炭素に向かわなければならなくなると思います。
昨年10月の総理の宣言の以降、横浜市会でも脱炭素の議論が急加速して、6月には「横浜市脱炭素社会の形成の推進に関する条例」が制定され、一層の取り組みが始まっています。
――横浜市がゼロカーボンを実現するうえでの下水道事業の位置づけは?
奥野氏 横浜市の中でも市役所は大量の温室効果ガスを排出する事業者であり、市民や事業者に対する率先行動として範を示さなければなりません。
中でも下水道の排出量は廃棄物に次いで2番目ですから、削減目標も含めて、いま計画全体の見直しを進めています。技術面や財政面など様々な課題はありますが持続可能な下水道に向けて解決していかなければなりません。
コスト縮減が脱炭素化を加速させる
――自治体が脱炭素を実現するうえで、排出量が多い下水道事業の脱炭素化は大きなカギを握りそうです。ですが、これまでにも下水道業界では温暖化対策、とりわけ省エネ化には力を入れてこられたと思います。さらなるギアアップは可能なのでしょうか。
堀江氏 総務省の呼びかけで、各自治体が様々なインフラに今後40年間いくらかかるか試算しました。背景は、整備が一定程度は進み、投資を減らし続けてきた結果の老朽化問題です。
お手伝いした市では、予防保全体制がとれても毎年の下水道事業の必要額は今の2倍でした。ライフサイクルコストが大きくのしかかり、先送りは危険です。
下水道コストを削減する方法としては、エネルギーコスト削減に対する要望が多い。一度水を汚すと浄化には大変な労力とともに大量のエネルギーが必要で、価格変動も大きいですからね。
下水道事業だけで日本全体の電力消費の0.7%を占めるとされ、決して小さくありません。廃棄物事業とともに、自治体事業でのエネルギー消費1、2位クラスです。それでも廃棄物は焼却時に発電で回収できますが、下水汚泥は脱水しても水分が8割以上と燃えにくく、燃焼時には二酸化炭素の300倍以上の温暖化効果がある一酸化二窒素も放出され、高温焼却など対策を要します。
一方、近年の下水道では、投資の3割が機械電気設備です。この比率が他の公共事業に比べて非常に大きく、それらがすべて電気等で動いている。だからこそ多様な機器の省エネ技術が大きく進みました。
コンクリートの耐用年数は50年ですが、機械電気設備は平均15年。更新サイクルが3倍早く、新技術を次々導入しやすい事業でもあります。実際、更新により機器性能+運転の工夫+容量減+創エネで消費エネルギーをゼロにできる試算例も種々あります。
日本の二酸化炭素排出量のうち下水道事業は0.5%を占めるとされます。つまり、エネルギーコスト削減が、ゼロカーボンへの道でもあるわけです。
今年から下水道事業における温暖化対策の国際ルール化に向けたISOの議論も、アセスメント手法からスタートしました。下水道事業は自治体での削減可能性を非常に多く秘めた事業だといえます。