「2050年の上下水道」にワクワクしない理由

国の政策に足りない未来の価値創造

2050年。水の当たり前は続いているのか?

私たちはいま、当たり前のように蛇口から出てくる水道水を飲み、レバーをひねるだけでウンチやおしっこが目の前からなくなり、少々の雨では浸水する心配のない暮らしを送っている。

果たして、この当たり前は2050年まで続いているのだろうか。

「続いている」

そう答えたいところだが、日本の上下水道インフラは、そう答えるのが難しい状況にあると言わざるを得ない。

まちに降った雨を下水管(雨水管)で集めて川や海へ排除することも、下水道の役割だ。しかし、気候変動によって激しさを増す豪雨に、その能力が追いつかなくなっている地域もある。

上水道も下水道も老朽化が進んでいるが、人口が減少するなか、すべての施設を今のまま維持し続けることは、費用面でも人材面でも極めて難しい。サイバー攻撃など、新たな課題も山積している。

上下水道事業は、もはや水の供給、汚水処理、雨水排除だけを考えていればよい時代ではない。

では、どう変わるべきなのか。

2050年を見据えた政策に、未来が見えない

そのあり方を探ってきた国土交通省の検討会で、2026年10月19日、2050年を見据えた「上下水道政策の基本的なあり方 第3次とりまとめ(案)」が示された。

人口減少、インフラの老朽化、気候変動、エネルギー安全保障など、現在直面している課題への対応策が幅広く盛り込まれており、その点は評価できる。

しかし、筆者には懸念が残る。

いま見えている課題への対応に終始してはいないだろうか。次々と押し寄せる課題に翻弄されているかのようで、肝心の未来の「あり方」がド直球で見える化されていないのだ。サイバー攻撃への対応も弱い。

だから今回新たに示された施策からは、2050年の社会像が十分に伝わってこない。

第3次とりまとめ(案)では、これまでの検討会で示された政策の方向性に加え、多様化する社会的要請に応える持続可能な上下水道への転換に向けて、次のような取り組みが新たに示された(一部抜粋して筆者が要約)。


1)持続可能な経営に資する上下水道の脱炭素・資源利用

• 広域連携や多様な主体との連携による地域全体での最適化
• 農業者や地域の理解醸成による下水汚泥肥料の利用促進
• 下水処理場の資源・エネルギー供給拠点化

2)流域全体を俯瞰した全体最適による持続可能な水循環の実現

• 流域全体を視野に入れた下水処理場の水質管理と豊かな水環境の創出
• 望ましい水環境の目標を流域関係者と共有し、協働で取り組む
• 省エネルギーや河川流量への影響に留意した施設の最適配置
• 水量・水質の双方に配慮した定量的な管理
• 渇水リスクへの対応や新たな水需要に向けた下水再生水の活用検討

3)我が国の強みを活かした上下水道分野のインフラ海外展開と持続可能な国際協力

• 相手国のニーズに即した政府間協議や案件発掘調査
• 推進工法の現地基準化や膜技術の国際標準化
• 国・自治体・公的機関・民間企業が連携した官民一体の取り組み
• 海外事業で得られた知見や経験を国内事業に還元し、国内外の相互発展を促進
• 相手国の環境改善や経済発展への貢献を通じた信頼醸成と国際的プレゼンスの向上

4)技術開発とイノベーションで切り拓く持続可能な上下水道の実現

• シーズ先行からニーズ起点の技術開発への転換
• スタートアップなど異分野からの参入促進と学生による技術提案の機会創出
• 社会実装を見据えた研究開発と技術の信頼性評価・調達環境の整備
• 政策立案と技術開発を結びつけ、社会実装まで一体的に推進


これを見て、どう感じるだろうか。

筆者は、まったくワクワクしない。
2050年を見据えるといいながら、未来への期待感が伝わってこない。

それは、現在直面している課題への対応がほとんどであるからではないか。一部に新たな価値を創造する施策も盛り込まれてはいるが、それらが2050年の社会をどう変えるのか、未来の姿として描かれていないからではないだろうか。

「守り」だけでなく「攻め」の政策を

持続可能な上下水道を実現するために、いまの課題に対応する「守り」の施策が必要なのは当然だ。しかし、「攻撃は最大の防御なり」と言われるように、「攻め」の施策、つまり新たな価値を創造する施策も欠かせないはずだ。

先ほどの取り組みにも「攻め」の施策はある、という声が聞こえてきそうだ。
その通り。確かにある。

例えば、脱炭素・資源利用は、まさにその一つだ。しかし、「脱炭素・資源利用」と表記すると、どうしても既存の課題に対応する「守り」の施策に見えてしまう。

下水処理場を資源・エネルギーの供給拠点にし、農業者や地域産業との協働を通じて、地域経済や産業の活性化、食料安全保障につなげる。

そんな未来への道筋を示せば、単なる課題対応ではなく、新たな価値を創造するワクワクする施策になる。

国際協力もそうだ。日本の立場や技術を守るという発想にとどまらず、上下水道事業を通じて新興国の産業を育成するという価値を第一に示せば、こちらもまた、未来を切り拓くワクワクする施策になる。

同じ取り組みでも、何を目的とし、どのような未来を実現するのかによって、見え方は大きく変わるのだ。

フォアキャストでは未来を変えられない?

過去や現在を起点に未来を予測するアプローチは「フォアキャスト」と呼ばれる。第3次とりまとめ(案)に示された施策の多くは、現在の課題から将来必要になる対策を考えるという意味で、フォアキャスト的な発想に立っているように見える。

一方、未来の理想的な姿を起点に、いま何をすべきかを考えるアプローチは「バックキャスト」と呼ばれる。新たな価値を創造する「攻め」の施策を考えるには、このバックキャストの発想が重要ではないだろうか。

もちろん、フォアキャストが不要だと言いたいわけではない。既存の課題を着実に解決することは不可欠だ。しかし、「上下水道政策の基本的なあり方」という大きな変革が求められるテーマに、フォアキャストだけで向き合っていては、従来の発想を超えるアイデアは生まれにくい。

結果として、上下水道政策のあり方そのものを変革できないのではないか。
そんな懸念を抱いている。

人の心を動かさなければ「見える化」ではない

第3次とりまとめ(案)には、生活者への取り組みの「見える化」の必要性も示されている。しかし、ただ情報を見せるだけでは不十分だ。

その情報を見た人が、上下水道の未来に可能性を感じ、自分も関わりたいと思い、行動を起こす。そこまでつながってこそ、見える化には意味がある。人の心を動かさない見える化は、単なる可視化にすぎない。

ワクワク感を醸せない見える化では、人は集まりもしないし、動きもしないのだ。

一方で上下水道には、ほかのインフラとは異なる大きな特徴がある。

上下水道を利用する際には、原則として使用開始などの手続きが必要になる。生活者と事業者の間に、直接的な接点があるのだ。

道路や橋梁などのインフラとは異なり、上下水道には、生活者がサービスの利用者として事業に直接関わる仕組みがある。

だからこそ、上下水道は、まちの未来、インフラの未来を生活者とともに考える場をつくり、その輪の中核になれるのではないか。

生活者を単なるサービスの受け手ではなく、未来をともにつくる主体として捉える。そんな発想が、これからの上下水道政策には必要だと思う。

だからこそ、何のために、何を、どう見せるか。それを踏まえた”目的ある”真の「見える化」が重要なのである。

2050年、上下水道は社会に何を生み出すのか

第3次とりまとめ(案)には、現在の課題に対応するための重要な施策が数多く盛り込まれている。
しかし、筆者には既視感が残る。

2050年の上下水道は、社会にどのような価値を提供しているのか。

水を届け、汚水を処理し、雨水を排除するという従来の役割を超えて、地域に何を生み出しているのか。

そして、そこに暮らす人々は、上下水道とどのように関わっているのか。

守るべきものを示すだけでなく、これから生み出す価値を示してほしい。肝心の未来の「あり方」、社会に提供する価値、そして新たに創造する価値を、ド直球で見える化してほしいのだ。

そして2050年、上下水道は単なる水に関わるインフラではなく、私たちが私たちのまちをつくるためのインフラになっていてほしい。(編集長:奥田早希子)