1707年に起こった富士山の宝永噴火では、江戸の町にまで火山灰が降り積もった。
もし同規模の噴火が現代に起きた場合、その影響は単なる降灰にとどまらない。鉄道は数時間で停止し、電力・水道・物流が連鎖的に機能不全に陥る。首都圏という超高密度都市において、火山灰は“処理不能なインフラ災害”になる。
にもかかわらず、現代の日本社会はこのリスクをほとんど経験していない。むしろ宝永噴火以降の過去300年の「噴火空白」が、危機認識を鈍らせてきたともいえる。しかし、ようやく近年、政府や自治体において広域降灰対策の議論が進み始めている。「首都圏における広域降灰対策検討会」は2025年3月、「首都圏における広域降灰対策検討会 報告書」をまとめた。
なぜ今なのか。そして実際に何が起こるのか。同検討会の座長であり、火山研究の第一線に立つ山梨県富士山科学研究所の藤井敏嗣所長に話を聞いた。(聞き手:編集長 奥田早希子)

山梨県富士山科学研究所 所長
火山から生態系まで複合的な視野で富士山に迫る
――まず、先生が所属されている富士山科学研究所の概要について教えてください。
もともとは山梨県の環境科学研究所が前身で、生態系や環境問題を中心に研究していました。2013年に富士山が世界遺産に登録されたことを契機に、山梨県としても富士山に関わる研究体制を強化する必要があるという判断があり、研究所を再編しました。それが現在の富士山科学研究所です。
それまで火山についてはほとんど扱っていませんでしたが、2014年以降は火山を中核テーマに据え、火山活動と自然環境を統合的に研究する機関へと変わりました。富士山という一つの対象を軸に、地質、火山、動植物、生態系まで含めて総合的に扱う点が特徴です。私はそのタイミングで着任し、研究と防災の両面から関わるようになりました。
――先生ご自身のご専門についても教えてください。
私はもともと東京大学地震研究所に所属し、マグマがどのように生成され、どのようなプロセスで噴火に至るのかを研究していました。富士山との関わりが深まったのは、2000年前後に富士山直下で低周波地震が急増したことがきっかけです。これは通常の地震とは異なり、マグマやガスの移動に伴う現象と考えられています。
それまでは月に数回程度だった活動が、一時期には100回を超える頻度で発生しました。専門家の間でも「富士山が危険ではないか」という議論が起き、国の特別研究として富士山の総合調査が行われました。私もその研究に参加し、それ以降、ハザードマップの作成や見直し、避難計画の策定など、防災分野にも深く関わるようになりました。
富士山はいつ噴火してもおかしくない
――率直に聞きますが、富士山はいま噴火が近い状態なのでしょうか。
「噴火が迫っているのか」という聞き方をされることが多いのですが、そういう問題ではありません。富士山は、いつ噴火してもおかしくない状態にあることは確かです。ただし、それが明日なのか数十年後なのかは分かりません。
重要なのは、危険性が急に高まったわけではなく、これまで社会として十分な備えをしてこなかったという点です。いわば、準備不足のまま時間だけが経過している状態だといえます。
――なぜ最近になって議論が進んでいるのでしょうか。
日本ではこの100年ほどの間、富士山の宝永噴火のような大規模な噴火をほとんど経験していません。鹿児島県の桜島などで噴火活動はありますが、噴火自体の規模としては比較的小規模なものが中心で、居住地への深刻な被害はほとんどありません。
一方、歴史を振り返ると、富士山の噴火は決して珍しいものではありません。富士山は過去5600年間で約180回も噴火しており、平均すれば30年に1度の頻度です。それが300年間も止まっているというのは、むしろ異常な状態です。この認識のギャップが、対策の遅れにつながっています。認識のギャップを早急に埋める必要があります。
首都圏に迫る「降灰」の脅威
——首都圏における広域降灰対策検討会の名称に「首都圏」とありますが、なぜ「首都圏」なのでしょうか。また、どの範囲が影響を受けますか。
火山災害というと溶岩流や火砕流を想像しがちで、その場合は火山のすそ野周辺が被害を受けます。ですが、爆発的な噴火になると、火山灰は上空数千mから1万m以上まで上がり、偏西風に乗って100km以上先まで拡散します。噴火の規模と風向き次第ですが、静岡・山梨だけでなく、神奈川、東京、千葉まで広く影響を受けることになります(図1)。

特に問題なのは、これまでの火山情報の仕組みでは首都圏が対象外だったことです。
噴火警戒レベルが適用される火山災害警戒地域は、基本的に山の周辺だけなのです。つまり、富士山で爆発的噴火が起こった場合に実際に大きな被害を受ける東京や神奈川東部には、公式な警報の枠組みがほとんどない。ここを大きな課題として認識しています。
――火山灰の量はどのくらいになるのでしょうか。
1707年の宝永噴火では、江戸にも火山灰が降りました。この時と同じ規模の爆発的噴火が起こると、約17億㎥、そのうち首都圏の生活圏に降り積もるのが5億㎥程度と見られています。これはもう、簡単には処理できる量ではありません。
日本全国の建設発生土が年間約4.5億㎥でほぼ同量、東日本大震災の災害廃棄物4700万㎥の約10倍に及びます。東日本大震災の災害廃棄物のうち3年かけて処理できたのが約9割だったことからすると、処理に数十年はかかる計算です。
つまり、火山灰は早急に「取り除く」ことが難しく、ある程度長期にわたって「付き合う」ことを余儀なくされる災害と考えるべきかもしれません(図2)。

降灰が引き起こす都市機能の連鎖的崩壊
――具体的な被害として、まず何が起きますか。
最初に止まるのは鉄道です。実はレールの上にわずか0.5㎜程度の灰が積もるだけで、信号システムが機能しなくなり、運行できなくなります。噴火から数時間で首都圏の鉄道は広範に停止するでしょう(図3)。

道路についても、降灰中には視界不良が発生し、数センチの火山灰の堆積でスリップなどのため通常の車両は走行困難になります。雨が降ると状況はさらに悪化し、泥状になってほぼ通行不能になります。
電力では、灰が湿ると導電性を持つので、送電設備でショートが発生する可能性があります。さらに発電所では吸気フィルターが詰まり、発電能力が低下します。
水道も問題です。火山灰に付着した火山ガス成分が溶け出すことで水質が悪化し、水質基準を満たせずに給水停止に至る可能性があります。
また、下水管に入り込んだ灰は、下水と混じり合って固まって管路閉塞や逆流の原因となります。結果として都市衛生も悪化します。
——建物への影響はどうでしょうか。
火山灰は岩石の粉ですから、軽そうに見えて重いんです。雪の5倍から10倍くらいあります。
30㎝以上積もると雪が数m積もったのと同等で、しかも雨が降るとさらに重くなるので、木造住宅は潰れる可能性があります。意外と見落とされがちですが、避難所も問題です。
地震や水害などの避難所に利用される体育館の屋根は構造的に弱い面があるので、灰の重さによって崩落する可能性がある。頑丈なコンクリート建物の方が安全です。
――生活への影響はかなり広範囲になりそうですね。
はい。交通、電力、水が止まれば物流も止まります。医療機関も例外ではありません。自家発電設備も空気を取り込むため、灰の影響で停止する可能性があります。
現代の都市は高度に連結されたシステムで成り立っていますから、一つの機能が止まると連鎖的に影響が広がります。火山灰はその引き金になり得るのです(図4)。

――体育館のような避難所も危険ということになれば「避難難民」が多く出そうです。
火山灰の影響は広範囲に及びますが、直接生命の安全が脅かされるわけではないので、大規模な避難は現実的ではありません。基本は自宅待機になります。そのため、数日から1週間程度の備蓄が重要になります。
ただし、灰の堆積量によっては建物への負荷が増大します。先述したように30㎝を超えると木造建築では倒壊の危険があるため、コンクリート建物への避難が必要になります。
最大の課題「灰の処理」にどう立ち向かうか
――首都圏広域降灰において最も難しい課題は何でしょうか。
やはり火山灰の処理です。仮置き場の確保、運搬手段の確保、最終処分地の確保といった問題が山積しています。
単に集めればよいというものではなく、どこに置くのか、どう運ぶのかを事前に計画しておかないと機能しません。これは行政だけでなく、社会全体で考えるべき課題です。
——こうした複雑な災害への対応や備えを主導する組織はありますか。
基本は市町村です。避難指示は市町村長が出します。
ただ、火山灰は広域災害なので、国・都道府県・インフラ事業者との連携が不可欠です。特に難しいのは、分野ごとの対策をどう統合するかですね。
またインフラについても、交通、電力、水道、医療、それぞれが別々に動くと機能しません。
全体をマネジメントする体制として、2026年度中の設置が予定されている「防災庁」に期待しています。
――国・自治体・個人それぞれの役割について教えてください。
国は、噴火の状況を迅速に判断し、適切な情報を発信することが重要です。ただし、爆発的噴火が始まったとしても、首都圏に影響が及ぶかどうかの判断には、噴火開始から20〜30分程度かかります。
自治体は防災計画を整備し、住民への周知を進める必要があります。避難指示を出すのは市町村長であり、現場の判断が重要になります。
個人としては、備蓄と情報理解が基本です。降灰による災害は日常的に経験しない災害であるため、事前の知識が大きな差を生みます。
――南海トラフ地震との同時発生はあり得るのでしょうか。
必ず連動するわけではありませんが、同時期に発生すれば影響は極めて深刻になります。例えば地震なら体育館などの避難所に行きますが、体育館の屋根は火山灰のような重量物に耐えられるように設計されていないので、降灰量が多いとその避難所が危険になる。交通も止まるので、救援も届かない。
つまり「対策の前提」が崩れてしまうんです。複合災害としての対応、視点が不可欠です。
「知ること」から備え始める
――最後に読者へのメッセージをお願いします。
最も大きな課題は「知られていないこと」であり、最も重要なことは「知ること」です。
火山灰による災害は日本人にとってほとんど経験のない分野であり、想定外が起こり得ます。まずは「何が起きるのか」を正しく理解すること。それが全ての出発点で、対策はその後です。知らないままでは、どんな制度も機能しません。
富士山の噴火は特別な出来事ではなく、自然現象として起こり得るものです。その現実を正しく認識することが、社会全体の対応力を高めることにつながります。
――富士山噴火は、決して遠い未来の話ではないということ。300年の静穏の裏で蓄積してきたリスクは、首都圏という巨大都市に直接影響を及ぼす可能性があります。にもかかわずインフラ、物流、医療、生活、その全てが同時に揺らぐ事態に対し、私たちはまだ十分な準備ができているとはいえません。
だからこそ今必要なのは、過度に恐れることではなく、正しく知り、現実的に備えること。これからの防災の出発点として、まずは火山灰という「見えにくい脅威」に向き合ってみようと思います。ありがとうございました。
月刊『INDUST』2026年7月号 No.465に編集長の奥田が執筆した記事を出版元である公益社団法人全国産業資源循環連合会のご厚意で転載させていだたきました

