山口乃理夫 東亜グラウト工業代表取締役社長
自他尊重と本質を見極める ― 今こそ再確認すべき原理
皆さんは、今の日本社会や世界を見てどう感じているだろうか。ウクライナとロシアの戦いは長引き、イスラエルとハマスの対立も出口が見えない。国際社会は「自国の利益を最優先する」流れに傾き、相互理解や共存という言葉が遠ざかっているように感じる。
けれども、これは決して遠い世界の話ではない。私たちの身の回りでも、「自分さえ良ければ」という考えが少しずつ広がっている。SNSでは匿名の陰に隠れて相手を攻撃したり、相手の立場を想像することなく言葉をぶつけ合ったりする光景が増えた。「論破」することが目的になってしまい、相手の話に耳を傾ける姿勢が失われ、「自分ファースト」が当たり前のようになっている。
その背景には、他者への想像力の欠如がある。自分の価値観だけを基準にして、異なる考えを排除することで安心を得ようとする。けれども、それでは社会は分断され、信頼を失っていく。結局は自分の首をも絞めることになる。
だからこそ、いま改めて大切にしたいのが「自他尊重」の姿勢である。相手の立場や考えを認めつつ、自分の意見も率直に伝える。互いを尊重しながら話し合い、より良い答えを探す。その積み重ねが、自由で健全な社会の土台となる。強い者だけが生き残るという考え方では、創造も持続も生まれない。自他尊重の原点に戻ることが、これからの時代を支える第一歩なのだ。
とはいえ、「尊重する」だけでは十分ではない。もうひとつ大切なのが「本質を見極める力」である。目の前の意見や数字に惑わされず、「何のために」「誰のために」「それは本当に正しいのか」と問い続ける姿勢。これこそが、信頼される人と組織をつくる根っこである。
その姿勢を、私たちの先人たちはすでに示している。
京セラ創業者の稲盛和夫氏は、「敬天愛人」の理念を掲げ、社員を仲間として尊重する一方で、経営の判断軸は常に「正しいかどうか」に置いた。創業間もない頃、社員一人ひとりを「家族」と呼び、利益よりも人間性を重視した経営を実践した。経営危機に直面した際も、リストラを選ばず、社員の士気を高めるために徹底した哲学教育を行った。さらにJAL再生では、数字だけではなく社員の意識改革に注力し、「動機善なりや」「利他の心」を全社で共有することで、わずか2年でV字回復を果たした。稲盛氏の経営哲学は、数字に裏付けられた“人間尊重経営”であり、まさに自他尊重と本質洞察の結晶である。
松下幸之助氏もまた、「経営とは人をつくること」と語り、社員一人ひとりを信じ抜いた。生活に困窮する社員のために給料支払いが滞る中でも、彼らの生活を守ることを優先し、現場の声に耳を傾けながら挑戦することを奨励した。「事業は社会の公器」という思想のもと、会社の存在意義を「人々の生活を豊かにすること」と定義し、利益の先にある社会的価値を常に意識した。戦後の混乱期に、社員を信頼しながら会社を立て直したその手腕は、経営者としての揺るぎない哲学と人間性の両立の象徴である。松下氏は、単に成功を追い求めるのではなく、人の成長や社会への貢献を重視することで、持続可能な企業文化を築き上げたのである。稲盛氏と松下氏は私が最も尊敬する経営者である。
さらに時代をさかのぼれば、明治の思想家・福沢諭吉氏もまた、この原理を体現した人物である。福沢氏は「独立自尊」を説き、人は誰もが尊厳を持ち、互いに敬意をもって自立すべきだと教えた。封建的な身分差が残る時代にあって、権威や形式に流されず、「学問とは人を支配するためではなく、自らを律するためにある」と強調した。人を見下すのではなく、互いに学び合い、高め合う姿勢を重視した福沢氏の思想は、現代社会における自他尊重の原点とも言える。学びと自立を通じて、社会全体を前向きに変えていく力がここにある。
この三人に共通しているのは、人を信じ、本質を見抜こうとする姿勢だ。時代や立場が違っても、行動の根底には「人を大切にする」という思いが流れていた。そこにこそ、成果や信頼を生む力が宿る。
日本は今、混乱の渦の中にいる。AIやデジタル技術の進展は目覚ましく、情報は氾濫し、巷ではプロパガンダが横行する。世界が不安定で個人が生きづらい時代だからこそ、自他尊重と本質洞察という原理に立ち返ることが、企業や社会を強くし、未来を切り拓く道である。私はそう信じている。
稲盛氏、松下氏、福沢氏の生き方は、誠実さ、謙虚さ、そして勇気を持って行動することの重要性を示している。私たちも日々の判断や行動の中で、この二つの軸を意識し、小さな信頼の積み重ねを通して、持続可能で人に信頼される社会づくりに貢献していこうではないか。
“成功の秘訣というものがあるとしたら、それは他人の立場を理解し、自分の立場と同時に他人の立場からも物事を見ることができる能力である”
by ヘンリーフォード(フォード・モーター創業者)
山口乃理夫(やまぐちのりお)
東亜グラウト工業 代表取締役社長
1993年に積水化学工業に入社し、M&Aで手腕を発揮。仲間や部下から厚い信頼を集めるなど、一貫してヒト・モノ・カネという経営企画の視点で組織を成長させてきた経営のプロ。2017年に現職に就くと、7年間でグループ全体の売上高、営業利益とも2.4倍に押し上げた。




