「会話が生まれる水辺」の再生を目指して

大阪市「とんぼりリバーウォーク」

川辺を歩く人の足が自然とゆるみ、ふと立ち止まって話し込む。そんな光景が大阪・道頓堀川のほとりに見られるようになりました。水都大阪の再生を目指し、水辺ににぎわいと会話を取り戻した象徴的なプロジェクト「とんぼりリバーウォーク」について紹介します。

『水を還すヒト・コト・モノマガジン「Water-n」』vol.18より転載(発行:一般社団法人Water-n)


隔たれた水辺から開かれた水辺へ

戎橋、ひときわ大きなグリコサイン、たこ焼きやお好み焼きのグルメ……大阪を代表する名所・名物に出合える繁華街を流れる道頓堀川。川沿いには遊歩道が設けられ、水辺を散策したり、撮影を楽しんだり、オープンカフェでひと休みしたり、ぼーっと川辺を眺めたり、思い思いに過ごす人でにぎわいを見せています。

道頓堀川の遊歩道「とんぼりリバーウォーク」は、大阪市の水都再生プロジェクトの一環として平成16年(2004)にオープン。多くの河川に恵まれた大阪の水都としての魅力を再発見してもらおうという試みでした。というのも、整備される以前の道頓堀川は決して人々に開かれた場所ではなかったからです。むしろ「生活空間から隔たれた」場所だったと言えるものでした。

遊歩道を活用したお祭りなど、
四季折々のイベントが開催されている。

失われた「水の都」の風景

大阪は古くから「水の都」と呼ばれ、街と川が密接につながる都市でした。その歴史を語るうえで欠かせないのが、豊臣秀吉による都市整備です。16世紀末、大坂城を築いた秀吉は、城下町の発展のために河川を掘り、運河を通し、水路網を整備。人も物も水の上を行き交う、「水の都」としての基盤を築いたのです。道頓堀川は、市街地と大阪湾をつなぐ重要な水運ルートとして開削された人工の川。周辺には芝居小屋や茶屋が立ち並び、江戸時代を通じて、大阪随一の歓楽街としてにぎわいを見せてきました。

しかし、明治以降の近代化や高度経済成長の中で、水運は物流の主役ではなくなり、生活空間としての役割も薄れていきます。護岸はコンクリートで固められ、建物は川に背を向けて建ち並ぶように。道頓堀川も例外ではなく、水質の悪化や空間の閉鎖性が問題視されるようになっていったのです。

都市の魅力を取り戻す「水都再生」構想

2001年に発表した「水都再生構想」は、かつての大阪の強み「水辺の魅力」をもう一度取り戻すことを目指すものでした。堂島川・土佐堀川・東横堀川 ・道頓堀川・木津川などを軸とした“水辺回廊”の形成が掲げられ、水辺を歩き、集い、楽しめる都市空間へと整備する構想が打ち出されたのです。

その一環として整備されたのが、道頓堀川の「とんぼりリバーウォーク」です。この試みが革新的だったのは、川沿いの敷地のオープン化を全国に先駆けて行ったことでした。

現在では多くの例が見られる河川空間の有効活用ですが、当時、河川の占有は原則的に限定的なものでした。しかし、この「水都再生構想」の協議によって特例※1として遊歩道と一体となった飲食店などの活動が可能になりました。川沿いに整備された遊歩道では、オープンカフェの営業やイベント活用などで、より多くの人に楽しんでもらうことが可能になったのです。

水辺に人が集まり、声が響く場所へ

「とんぼりリバーウォーク」は、道頓堀付近の多くの商店街に隣接していて、整備が始まる当初は「河川にカフェができたら競合になるのでは」など多くの不安も寄せられたと言います。しかし商店街を交えて地元企業、有識者、大阪市、店舗などが丁寧に対話を重ねることで「街に開かれた川辺」の創出が具体的になっていきました。

整備は2004年から段階的に進み、2013年には湊町から日本橋まで、およそ1キロメートルのリバーウォークが完成。歩行者が安全に、かつ気持ちよく川辺を楽しめる空間ができたことで、観光客だけでなく、地元の人々にとっても「歩きたくなる場所」へと変わっていったのです。

整備が進んでから約20年。コロナ禍の影響もありつつ、インバウンドが増えた昨今では、多くの人が「大阪らしい」風景が楽しめる場所として、「とんぼりリバーウォーク」を訪れています。また全国に先駆けた河川空間の活用事例として、日本各地の自治体や企業から見学に訪れるほか、水質改善の参考にと、海外から視察に訪れる人も多いのだそう。そして現在では、イベントやライトアップが行われるなど、都市のにぎわいの核になる場所として定着しています。

かつて豊臣秀吉が築き、日本の台所を支えた「水の都」の面影と、現代の都市の再生とが重なりあうこの場所には、次々と新しいコミュニケーションが生まれているのです。

さらにディープに楽しみたいなら、
船着場から出航する「とんぼりリ
バークルーズ」もおすすめ。

 

水都再生プロジェクトとは

平成13年(2001)、大阪府・大阪市・経済界がともに提案した「水の都大阪再生構想」が第3次内閣府都市再生プロジェクトとして採択。堂島川・土佐堀川・東横堀川・道頓堀川・木津川からなるロの字の川を「水の回廊」として再生、大阪全体の活性化を目指すプロジェクトとして始動し、平成14年(2002)に「水の都大阪再生協議会」と「花と緑・光と水懇話会」が設立され、道頓堀、中之島、八軒家浜などで水辺の整備が進められました。

水都大阪ウェブサイト:https://www.suito-osaka.jp