発災から約3カ月が過ぎた2024年4月7日、上下水道コンサルタント大手であるNJSの名古屋総合事務所営業部(現席:北陸事務所)の出戸忠司さんの運転する車で、同社人事総務部人事グループの積田良人さんと一緒に能登半島に入り、半日ほどをかけて輪島市、内灘町の被災現場を見て回った。(編集長:奥田早希子)
※株式会社NJSの社内報「NJSレター」に投稿した記事をご厚意により転載させていただきました
被災者と復旧支援者。互いの感謝の念が暮らしを紡ぐ
前日までの風雨は止み、晴れ間がのぞくものの朝はまだ肌寒い。金沢と能登半島をつなぐ高速道路の復旧が遅れているため、移動時間を多めに見積もって同事務所前に朝6時集合予定だったが、道路状況が良くなったとのことで朝7時集合と少し遅めの出発となった。
とはいえ道中はいたるところでのり面が崩落していたり、路面がガタガタで、これよりひどかったという発災当初の被害の大きさを思い知らされた(写真1)。
まずは火災に見舞われた輪島市の朝市通りを歩いた。朝市通りのすべてが延焼したと思っていたが、朝市通りの入り口辺りには火災を免れたエリアもあって、そうしたところでは〇×漆器本店、輪島塗など屋根に掲げられていたはずの看板が崩れ落ち、地面の一部になっていたりする(写真2)。
店舗の外壁には緑、黄、赤の紙が目に付く。緑は調査済み(使用可能)、黄は要注意、赤は危険という意味で、緑は極めて少ない(写真3)。周りが赤や黄ばかりだからいつ崩れるかも分からないだろうし、電気や上下水道も回復していないからだろう、緑の店舗も稼働している様子はなかった。
朝市通りを奥に進むと徐々に焼けた建物が増えていき、焦げたにおいが空気に混じるようになる(写真4)。それでもまだ建物としての外観を残している通りをさらに奥に進むと、急に空が広くなる。建物がない。というか、焼け崩れている(写真5)。
ふいに東日本大震災の1カ月後にボランティアで訪れた南三陸を思い出す。あそこも津波で建物が流され、空が広かった。
その後、最大約4mも地面が隆起した輪島市の漁港を訪れた。少し前までは海底だった地面を歩く。堤体が底部まで露出していて、私の背よりも上の方に、ここまで海面だったことを示す線がくっきりとついている(写真6)。
最後に、まちごと液状化したと言われ、まち全体が側方流動した内灘町を訪れた。建物だけを見ていると被害がないようにも見えるが、よく見ると建物の建つ地面が波打ち、建物ごと傾いている家屋が多い。地震による揺れの被害より、液状化の被害が大きかったのだ(写真7)。
果たして、どう復興していけばよいのか。いたるところに存在する巨大な壁を前に思わず思考停止しそうになる。そんな中、水インフラの復旧に向けて粛々と、そして熱意をもって業務にあたっているNJSをはじめとする関係者の方々の存在の大きさが、ただただ感じられた。
歩きながら出戸さんが、鮮明に記憶に残っていることがあると話してくれた。現地調査を行っていた時、被災住宅の前で老婦人から手を合わせて拝まれたことがあるという。作業着が復旧に携わる人の証となり、地元の方が感謝の意を表明してくれたのだ。しかし、出戸さんは素直に喜べなかったという。
被災して苦労されているにもかかわらず、援助してくれる人への感謝の念を忘れない姿に感銘する一方で「自分たちは仕事をまっとうにしているだけで、被災者に感謝されてよいのだろうかという疑念にかられた」(出戸さん)
感謝されて当たり前と考えない出戸さんの心もまた美しく、インフラを担うひとりとしての誇りと厳かさを感じた。被災地に住まない筆者が感謝するというのもちょっと違う気がしたので、心より敬意を表しますとお伝えした。
被災された方々も、復旧にあたる方々も、それぞれの葛藤を内に秘めつつ、互いへの感謝の念を忘れない。その気持ちが暮らしを紡ぐ力になっているのかもしれない。
QOLの視点がもたらす水インフラの新たな価値
能登半島地震では、QOL(Quality of Life)と水インフラの新たな関係性が世に問われたと考えている。
まずはトイレだ。災害で上下水道や浄化槽など水インフラが被災するとトイレを使用できず、排せつを我慢して、あるいは水を飲む量を減らして体調を崩す人が増えたり、仮設トイレが汚物まみれになって不衛生になったり、災害のたびにこうした問題が繰り返されてきた。これに対し今回は、課題面のみならず解決策も同時にクローズアップされたように思う。
それに一役買ったのは、間違いなくお笑いコンビのサンドウィッチマンだ。サンドウィッチマンが東日本大震災後に気仙沼市に寄贈したトイレトレーラーが、発災からわずか2週間ほどで輪島市に到着したことが大きく報道され、彼ら自身もトイレの重要性を改めて提言した。
トイレトレーラーは汚物を溜めておいてバキュームカーで汲み取る点は仮設トイレと同じだが、バキュームカーが不足して汲み取りが遅れた場合でも機動力を生かして被災していない下水道施設に行って排出することができる。トイレ用水が無くなったら給水車に出向くこともできるし、近くの水源に行ってポンプ揚水もできるから、汲み取りに来てくれない、流せないなどでトイレが汚物まみれになることを理論的にはなくせる。
サンドウィッチマンほど報道はされなかったが、橋梁大手の長大もバイオトイレを無償提供している。微生物の働きで汚水を浄化して洗浄水にリサイクルするシステムで、微生物が活性化するまでに時間を要すると聞いたが、考え方としてはトイレトレーラーと同じ。つまり、上下水道管(ネットワーク)につながっていないオフグリッド型でトイレ機能を提供できる。
トイレ問題に加えて、今回新たに「風呂問題」にも光が当てられたと考えている。きっかけは東京大学発スタートアップのWOTAが、独自開発した小規模分散型水循環システム「WOTA BOX」で仮設トイレならぬ仮設風呂(実際にはシャワー)を提供したことで、こちらも報道番組で紹介された(写真8)。自衛隊が提供する仮設風呂とは異なり、使用した水の98%を循環利用できるとうたわれている。シャワーを浴びてすっきりとした被災者の笑顔をテレビで見た時、被災者のQOLを維持するうえで風呂がいかに重要かを思い知らされた。
これまではトイレは我慢できないし、健康や衛生問題に直結するけど、風呂は入らなくても死なないし我慢できる(すべき)と暗黙に思われていなかっただろうか。下水道関係者はよく、トイレが使えなくなって初めて下水道の必要性に気づいてもらえるというが、そこに風呂の視点も入れてはどうか。
介護の世界では、トイレ介助も入浴介助も人間の尊厳を尊重すべき行為であるとされている。今回の震災を機に、被災者のQOLや尊厳を守るということにおいて、水インフラの役割を問い直してはどうか。それが、水インフラの新しい価値創造につながるはずだ。
「機能を維持する」という考え方
水インフラの役割を問い直す視点として、トイレトレーラーやWOTA BOXなどから示唆されるのは「機能」だと考えている。
トイレトレーラーなどオフグリッド型、これに対し上水道と下水道というネットワーク型。両者はまったく異なるもので、トレードオフの関係にあると考える人がいるかもしれないが、上下水道が機能を失ったエリアで、その機能をうまくオフグリッド型システムが補完していると考えれば、同じ水インフラに相違ない。重視すべきは、使用する設備やシステムではなく「機能」だということを、トイレトレーラーやWOTA BOXは世に問うたのだ。
内閣サイバーセキュリティセンターの重要インフラ防護の目的からも、重要インフラの「機能」に着目していることが伺える。
重要インフラとして「情報通信」「金融」「航空」「空港」「鉄道」「電力」「ガス」「政府・行政サービス(地方公共団体を含む)」「医療」「水道」「物流」「化学」「クレジット」「石油」「港湾」の15分野を設定しており、重要インフラ防護の目的として「重要インフラサービスの安全かつ持続的な提供を実現すること」としている。インフラサービスとはつまり、インフラというモノそのものではなく、モノから生み出されるサービス、つまり機能と理解できる。
上水道の機能とは何か。下水道の機能とは何か。災害時やサイバー攻撃を受けるなど有事においても、いかにそれらの機能を担保できるか。下水道関係者が下水道の必要性を体現するものがトイレであるというのなら、ネットワークが被災しても使えるトイレ機能(トイレサービス)を提供するという発想があってもいいはずだ。
これからの上下水道関係者には「機能」の視点から生活者のQOLを高める新しいサービスを創造していただけることに期待したい。そのためのアイデアや仕組み、技術を提供できる企業が、ウォーターPPPの時代に選ばれる企業になると考える。
上下水道サービスは住民との協働無しに復興できない
能登半島に入る前に、出戸さんからトイレに自由に行けないかもしれないと聞いていたので、水分摂取量を抑えて過ごした。確かにまちなかにポツポツと仮設トイレが設置されていて、近隣住民はトイレのために歩いてそこまで行かざるをえない状況だった(写真9)。営業中のコンビニであっても、トイレは使えないケースもある。断水が続き、下水道も被災しているためだ。
能登半島の上水道は、県営水道から送水される幹線があり、そこから各戸へ送水する自治体の配管がある。このうち幹線はすでに復旧しているが、自治体の配管も復旧されない限りは断水が続く。
しかし、問題は、さらにその先にある。自治体の配管が復旧したとしても、そこから家屋に引き込む配管がやられていれば水が使えないし、この「その先の配管」は被災者が被災者の資金で対応しなければならないのだ。結局のところ、住民が動かなければ上水道インフラの、いや、上下水道インフラサービスの完全復旧なんてできないのか…。
そう考えて、他のインフラとの違いに思い至る。道路や橋梁は住民が関与しなくとも、官と企業だけでも復興できるだろう。しかし、上下水道サービスは住民との協働無しには復興できない。この違いは大きい。
能登半島をどのように復興するのか。どのような未来を描くのか。被害の大きさもさることながら、人口減少予測も踏まえれば、すべてのエリアを元通りに復元するのではなく、地域を絞って集中投資し、新しいまちを創造してはどうかという声もある。そこには当然ながら住民の声が反映されなければならない。
だとすれば、住民との協働ありきの上下水道サービスの復興を、住民とともにまちの未来を描くことにつなげられるのではないだろうか。上下水道関係者が、復興まちづくりの基盤となれる予感がした。