生成AIの急速な普及で、社会のあらゆる分野が「AIをどう使うか」という問いに直面しています。下水道も例外ではない。画像解析、流量予測、異常検知、運転支援、報告書作成――。すでにAIを活用した技術開発は進み、一部では実装も始まっています。しかし、現場からは「まだほとんど使われていない」という声も聞こえてきます。
なぜ、このギャップが生まれるのか。何が現場への適用を阻んでいるのか。どうすれば適用が進むのか。中央大学の山村寛氏、埼玉県下水道公社の若狭公一氏、NJSの竹田功氏、日立製作所の山野井一郎氏を招き、「AIは下水道を変えるのか?」をテーマに、研究、現場、コンサルティング、技術・ベンダーという異なる立場から、AIの現在地と下水道の未来を議論していただきました。
(全3回:企画・進行・記事 奥田早希子氏 一般社団法人Water-n代表理事 ・Webジャーナル「Mizu Design」編集長)
「環境新聞」に掲載された記事をご厚意により転載させていただいています。
#1 問われるのは「技術」ではなく「思想」
#2 AIがもたらす業界再編と新規参入←今ここ
#3 AIにより変化する未来と変化しない未来
運転データをいかに活用するか
山村氏 技術より先にデータが使える環境整備を
竹田氏 データ活用のルールが必要


――ここまでの議論で、下水道でAI活用を促す最大のボトルネックは「データ」のように感じます。ここをどうすれば乗り越えられるのでしょうか。
山村氏 私は、AI活用を考える上で最も重要な論点の一つがデータだと思っています。
AIの技術はあるわけです。しかし、そのAIに学習させるためのデータにアクセスできないという現状にあります。
維持管理事業者が持つ運転データだけではなく、自治体が持っているデータについても、自治体ごとにデータの持ち方が違いますし、フォーマットも違います。仮にそれを企業が使おうとすると、誰のデータなのか、どういう手続きで使えるのかが分かりません。
AI技術の開発以前に、データを使える環境を整える必要があると考えています。
竹田氏 現場ではさらに、データを外に出すことへの抵抗があります。
先ほど話したように、維持管理事業者にとって運転データはノウハウそのものです。実際に運転データを蓄積し、意味のある形にしてきたのは現場の事業者だという意識もあるでしょう。
そこへ別の企業が来て、「AI開発のためにデータをください」と言っても、簡単には渡せないと思います。
――そもそも運転データは誰のものなのでしょう。
山村氏 そこを議論しなければならないと思います。
下水道は市町村の事業です。そう考えれば、データ管理や利用の判断は市町村にあるという整理になります。
しかし、「データは誰のものか」ということを自治体ごとに個別判断をしていると、AI活用は進みません。議会承認が必要なのか。公平性の観点から入札が必要なのか。特定の一社に提供すれば、他社にも提供しなければならないのではないか。そういう議論になってしまいます。
そうなると、結果として、使えるデータがあっても使われなくなるでしょう。
竹田氏 だから、一定のルールが必要だと思います。
例えば国が共通フォーマットを作るのが一手だと思います。一定の条件を満たした企業であれば、そのルールに基づいて自治体データを利用できるようにする。そうすれば、セキュリティ上の懸念にもある程度対応できると思います。
日本のインフラデータを使って、海外企業が自由にサービスを作ることをどう考えるのか。そこまで含めてルールが必要ではないでしょうか。
――データセンターのような仕組みは考えられませんか。
山村氏 私はあり得ると思います。
複数の自治体からデータを集め、一定のルールで提供するわけです。例えば大学の研究なら無償、企業の研究開発なら有償にするなどです。
その収益を自治体に還元する仕組みも考えられますね。重要なのは、データは使われなければ意味がないということです。
――国が集め、一元管理することはできないのでしょうか。
山村氏 そこは簡単ではありません。なぜなら、下水道は市町村事業ですから。
国が「全部集めます」と言っても、なぜ国が市町村の事業データを持つのか、説明が必要になります。
山野井氏 繰り返しになりますが、自治体のデータを公開しようとすると、議会承認や公平性の問題も出てきますね。一社だけに使わせていいのか、という話になるでしょう。
しかし、そのたびに入札や個別手続きをしていたら、技術開発のスピードに追いつけません。ですから、データの取り扱いルールをあらかじめ整備する必要があると思います。
国が共通フォーマットや利用条件を示し、一定の基準を満たす企業が利用できるようにする。そうした制度設計は必要だと思います。
――AIの議論をしていたはずが、実はデータガバナンスの話になってきました。
山村氏 まさにそうだと思います。
AIを入れるかどうか以前に、データを誰が持ち、誰が使い、誰が守るのか。その基盤がなければ進みません。
AI時代に必要な人材とは
山野井氏 問いを立てる力が重要に
山村氏 AI時代だからこそ求められる現場力
若狭氏 AIか人か、ではなく、AIと人の組み合わせ


――これまでのお話は、人材の議論にもつながりますね。
AI活用を前提にすると、土木などだけではなく、異なる分野の人材が必要とされそうです。
山村氏 先ほど「翻訳者」という話をしましたが、今後はますます「翻訳者」が重要になると思います。
現場を知っている。技術もある程度分かる。そして、「この課題に、この技術を使えるのではないか」と考えられる。そうした人材です。
AIの専門家だけでも、下水道の専門家だけでも足りません。その間をつなぐ人材の育成が必要です。
山野井氏 データにアクセスできるようになれば、「このデータから何ができるか」と問いを立てる力が重要になります。
ソリューションを作る人は別にいてもいいですし、メーカーでも、コンサルタントでもかまいません。重要なのは、現場の課題を理解し、データを見て、「こういうことができるのではないか」と考える人です。
竹田氏 私も、これから必要なのはAIだけを知っている人ではないと思います。
データの取り扱いやセキュリティ、システム接続、調達、契約、責任など、そういう問題を横断して議論できる人が必要です。
自分の専門分野だけに限らず、多方面に知識やノウハウを広げていく力が求められると思います。
――AI人材というと、ついAIのプログラムを書く人かと思いがちですが、そうではないということですね。
竹田氏 そうです。むしろ下水道では、技術と制度と現場をつなげられる人が重要になると思います。
――AIに期待される領域として、ベテランの経験の継承があると思います。特に下水道では、熟練者の「勘」や「経験」が重要だと言われてきました。それはAIで継承できるようになるのでしょうか。
山野井氏 すべてを置き換えるのは難しいと思いますが、ベテランの操作を学習し、再現することは可能です。
さらに、生成AIとの対話を使えば、「なぜその操作をしたのか」といった、判断の背景まで残せる可能性があります。
例えば、ある数値を変更した時に、システムが「なぜ変えたのですか」と聞く。それに人が理由を答える。その積み重ねによって、これまで頭の中にしかなかった判断理由が言語化されるでしょう。私は、そこに大きな可能性があると考えています。
――ベテランの「答え」をコピーするだけではなく、答えに至る考え方を残すことが重要ということですね。
山野井氏 そうです。もちろん、すべてを言語化できるわけではありません。しかし、これまで失われていたものの一部を残せる可能性はあります。
若狭氏 現場では、数値だけでは分からないこともあります。
例えば、音が違う、とか、匂いが違う、とか、もっと言うと、なんだかいつもと何か違う。そういう感覚があります。
そこにAIが入ることで、そういう経験や感覚が失われる可能性はあると思います。
一方で、人が減っているのも現実です。熟練者が退職し、技術継承が難しくなっていることは間違いありません。だから、AIを使わないという選択肢も現実的ではないと思っています。
――AIか人か、ではないということですか。
若狭氏 そう思います。人とAIをどう組み合わせるかです。
――では、若手技術者には何が求められるでしょうか。
AIがあれば、昔ほど現場経験は必要なくなるのでしょうか。
山村氏 私は逆だと思います。AI時代だからこそ、現場を理解することが重要になります。
例えば、AIは答えを出してくれますよね。しかし、その答えが本当に妥当なのか判断するには、対象を理解していなければなりません。
AIがもっともらしい答えを出した時に、「これはおかしい」と言えるかどうか。そのためには、現場の知識が絶対に欠かせません。
――AIを使える力より、AIを疑える力が大事なんですね。
山村氏 そうですね。
さらに言えば、「何をAIに聞くのか」も重要です。問いがなければ、AIは使えませんからね。
現場を見て、「ここに問題がある」「このデータとこのデータを組み合わせれば何か分かるのではないか」と考えられるかどうか。そういう力も重要になります。

AIは下水道業界をどう変えるか
山野井氏 新しいサービスを生む業界へ転換を
竹田氏 「縦割り業界」の融合進む
――企業があるルールの下で自由にデータにアクセスできるようになれば、業界外から新しいプレーヤーが入ってくる可能性もありますね。
山野井氏 期待したいのは、データをより多くの人が利用できる環境です。多くの人がアクセスし、利用できる。その結果として、新しいソリューションが生まれる。そういう方向に進めばいいと思います。
データにアクセスし、「これができるのではないか」と問いを立てる人も出てくるでしょう。その人は必ずしも従来の水インフラ企業でなくてもいいと思います。異業種のメーカーでも、コンサルタントでもいい。
生成AIも、大量のテキストデータを学習することで能力を高めてきました。下水道でも、データを起点に新しいサービスが生まれる世界に近づいてほしいと願っています。
――異業種からの新規参入はウエルカムですか。
山野井氏 そうですね。
ただし、その時には別の問題が出てきます。調達をどうするのか。セキュリティをどうするのか。システムをどう接続するのか。契約をどう設計するのか。そして責任をどこに置くのか。
むしろAIそのものより、データ基盤、セキュリティ、調達契約、責任分担の議論が必要だと思います。
――今後、AIによって、下水道業界の在り方そのものは変わると思いますか。
竹田氏 業界の枠組みがすぐになくなるとは思いません。ただ、業界再編はかなり進むと思います。
すでに道路など他のインフラ分野との連携が出てきていますし、建設業だけでなく、鉄道、電力など異分野の企業もインフラ事業への関心を広げています。
そうした時に、今の水インフラ業界が残っていけるのかどうかは心配なところがあります。学生の立場で言うと、海外なら水分野の大企業が明確に見えるのですが、日本ではどのような会社があるのかが非常に分かりにくい状況にあります。
というのも、日本では、建設会社、プラントメーカー、管材メーカー、コンサルタントなど、多数の企業が役割分担をして、それぞれが水インフラに関わっているからです。
だから、「水インフラの仕事がしたい」と思った学生に、「では、どの会社に行けばいいのか」と聞かれると、簡単には答えられません。今後は再編が進み、企業の役割も変わっていく可能性があると感じます。
――確かに日本の水インフラ業界は、コンサルや機械など、かなり縦割りです。その縦割りをAIが崩し、業界横断を促す可能性はありそうですね。
竹田氏 その可能性はあると思います。
ただ、だからこそ調達制度や契約制度も変えなければならない。従来の発注の仕組みのまま、新しい企業だけ入ってきても機能しないと思います。

(つづく)

