上下水道インフラは実は多くの中小企業によって支えられている。その中でも東亜グラウト工業は、管路管理を中心にオンリーワン技術を多数保有する、技術で突き抜けた企業として知られた存在だ。2017年7月から着手した同社の働き方改革は、三井住友銀行から「働き方改革のグロース企業」に選定されるなど高く評価されている。
中小企業特有の課題からの脱却
働き方改革の号砲を鳴らしたのは、17年4月に社長に就任した山口乃理夫氏(49歳)だ。前職の積水化学工業で約15年以上も経営企画に携わり、社長側近も務めたその経営手腕を見込まれ、創業者の大岡伸吉氏が新社長として外部から招聘した。
上下水道業界では、技術が他分野より特殊で難しいからと技術系出身の社長が多い。対して山口氏は事務系出身だ。業界では異例と言えるが「経営者はビジョン策定、意思決定、人材育成の3つをやればいい。必ずしも技術に精通する必要はない」と断じる。経営者がやるべき3つのうちの1つ、人材育成が働き方改革につながっていく。
同社は1958年に創業以来、オーナーの大岡伸吉氏のセンスとカリスマ性で、下水道管路管理では知らない人はいないという企業へと成長を遂げた。しかし、多くの中小企業の例に漏れず、規模の拡大に対応できる組織・制度の変革という課題を抱えていた。その打開を託されたのが山口氏だ。
山口氏が社長に就任した当初、家庭的な組織運営は、ある面では組織に温もりを生んでいたが、一方で人事評価に関する不公平感、指示待ち体質などの問題が内包していた。
「会社規模に応じた組織改革の必要性を強く感じた。これまでの良さは残した上で、自らが経験し学んだ組織的な経営を融合すれば更に強い会社になる」(山口氏。以下同)。その筆頭として掲げたのが、自身が経営において重視する従業員満足度の向上だった。東亜グラウト工業にとって「働き方改革」は会社そのものの改革の第一歩だったのである。
社員だけで80ページの報告書を完成
社長就任から4カ月後に「働き方改革委員会」を設置した。社長の諮問機関的な存在とし、課題の洗い出しから改善案のとりまとめまですべてをメンバーに任せきった。
山口氏が行ったことは3つだけだ。まず、自らが感じる課題として長時間労働、労働生産性、福利厚生、人材育成、公平・公正な人事評価という5テーマを例示した。次に、効果がありそうな施策には投資すること、そして、改革によって例えば残業時間が減って利益が増えた場合は主として社員に還元することをコミットした。約80ページにおよぶ報告書がまとまったのは、それから5カ月後のことだ。
報告書を基に、人事評価には「昇格候補者の役員面談実施」や「年度ごとのコミットメントに対する定量評価」を取り入れた。男女差もなくし、今年度にはあらたな女性部長が3名誕生している。58歳以降は漸減させていた給与体系も、年齢に関係なく同一労働同一賃金で見直した。
人材育成はとりわけ重視し、Eラーニングで660講座の受講を可能にした。このうち、60時間に及ぶ社会人マナーなど基礎的な講座は全社員が受講。もちろん山口氏も受講した。
男性社員のように一同に集まる機会が欲しいという女性社員の声を受け、女性社員の企画による女性社員のための研修も実現した。
すぐ取り組むべき課題については初年度に解決した。職場マナーの改善や、日差しが強い席の横の窓に遮光フィルムを貼るなど職場環境の改善、安全対策を施した什器への入れ替えも行った。こうして社員からの細々した要望も着実に叶えられていった。
トップダウンからボトムアップへ
それぐらいのことと思うかもしれないが、小さなストレスの積み重ねが企業活動の推進力と社員の意欲を減退させることもある。管理グループの横塚和良氏は「働き方改革によってトップダウンからボトムアップになり、社員の意見が通る会社になってきた」ことを実感している。
これら一連の取り組みが評価され、三井住友銀行(SMBC)の「働き方改革のグロース企業」に選定。昨年11月にはSMBCにより、低利で私募債を買い受けられた。
社員にとってみれば、山口氏は大企業からある日突然降ってきた社長だ。M&Aで手腕を発揮した経歴も持つ。会社がどう変貌させられるのか、不安も少なくなかっただろう。そのためだろう。働き方改革委員会の第1回目は「みんな戸惑っていた」
しかし、提案が着実に実行されたり、金融機関など外部の評価が高まったり、低利での資金調達で経営に寄与できたりしたことで意識は徐々に変化した。「今は雰囲気も大分良くなった。メンバーの顔も当初より緊張感がなくなり明るくなった」
戦える社員を育てて新領域に挑戦
山口氏は安易なリストラはご法度と日本企業に警鐘を鳴らす。その要因を「経営者自身の保身のため短期的利益を追求しすぎ。間違った株主重視経営だ」と断じる。「社員は顧客を大事にし、経営者は従業員を大事にする。顧客満足度と従業員満足度が高まれば、継続的な増収増益はおのずと付いてくる。そのことが必ず株主に評価される」。従業員満足度につながる働き方改革は、まさに山口氏の経営哲学の要諦を築く。
上下水道インフラは社会から無くなりはしないが「その仕事だけでは生き残れない」との危機感もまた、働き方改革の背景にはある。
「将来的には医者と同じような立ち位置で、橋梁なども含めたインフラの総合メンテナンス事業、さらには地域創生・再生する『まちのお医者さん』を目指したい。新しいビジネスモデルに挑戦するには自ら考え、戦える人材が必要だ。働き方改革を通して挑戦する機会、考える機会を社員にもっと提供していきたい」
かつて従業員に見られた指示待ち体質は、徐々に能動的に変わりつつあるという。山口氏の挑戦はこれからも続く。