DXは下水道と暮らしを変革できる? できない?

【鼎談】高橋悠太氏:横浜市、山村寛氏:中央大学、以後直樹氏:東京情報デザイン専門職大学

DXは、下水道施設の維持管理の効率化、予期せぬ機器トラブルへの備えなどハード周辺にとどまらず、豪雨への事前対応による安全なまちづくり、下水情報やアプリを通した新たな顧客サービスなど私たちの暮らしにも変革をもたらす可能性があります。しかし、業務をデジタル化しただけの取り組みをDXと呼んでいる例も散見されます。日本の下水道DXの現在地はどこにあり、そして今後、本当の変革に向けて歩んでいけるのか。

下水道事業者として国内初のDX戦略策定に携わった横浜市環境創造局政策課の高橋悠太下水道政策調整担当課長、水インフラのDX推進に取り組む中央大学理工学部の山村寛教授、DXによる暮らしやすいまちづくりに取り組む東京情報デザイン専門職大学情報デザイン学部の以後直樹准教授に議論していただいた。(進行:編集長 奥田早希子)


この記事のコンテンツ

下水道DXの必要性
下水道DXの現状
戦略とリーダーシップの必要性
ベンダーロックからの脱獄
実効と実行への課題


下水道DXの必要性

以後氏 下水道DXによる市民メリットの説明を
山村氏 下水道DXを外貨を稼ぐチャンスに

以後直樹氏
(東京情報デザイン専門職大学情報デザイン学部准教授)

 ――まずデジタル技術やその社会活用などについて研究されている以後先生に伺います。下水道業界に属さない“オソト”かつデジタルの専門家という立場でご覧になって、下水道にデジタル技術を活用することでどのような良い変化がもたらされそうか、また、下水道DXにどのような可能性があると感じておられますか。

以後氏 そもそもなのですが、下水道にDXは必要ないのではないかと感じています。

 ――本鼎談は下水道DXありきで企画しているのですが、そもそも下水道DXの必要性に疑問ありという、いきなりカウンターパンチをくらいましたね。なぜそう考えておられるのでしょうか。

以後氏 下水道はすでに広く普及していますし、一般生活にもなじみ、使えて当たり前のインフラになっていますよね。それをさらにデジタル化したりDX化したりしても、新しい効果を生み出すことが難しいように感じます。ですから、DX化する必要はないのかな、と。

 ――横浜市では今年4月に「横浜下水道DX戦略」を策定されました(図表1)。DX化が必要だという認識があってこそですよね。その必要性をお聞かせください。

図表1 「横浜下水道DX戦略」は3階層で構築される。目指すべき方向性を最上位の全体ビジョンで示し、そのビジョンを実現するために下水道DXという重要分野を設定し、それら取り組みを「下水道プラットフォーム」という基盤が支える構図だ(提供:横浜市)

高橋氏 戦略策定の背景として、下水道事業者を取り巻く環境や社会情勢が変化してきており、新たなニーズへ対応するためには、DXが課題解決の鍵となることが挙げられます。

下水道事業では市民理解を深めていただいて事業を進めることが重要です。管路や処理場など既存ストックが老朽化してきていますが、直接的に市民の皆様には見えません。このような見えない変化がある一方、気候変動等の影響で雨の降り方が激甚化しているというような目に見える環境変化もあります。さらに近年はSDGs実現への貢献という視点も必要です。

ですが、下水道事業を支える人口、とりわけ生産年齢人口が減少しています。この影響は大きいですね。下水道事業に求められることは増え、それを担う人口は減ります。こうした課題をDXで解決に導きたい。地方自治体としてはこれがDXの大きなポイントです。

山村氏 さらに日本における下水道DXの必要性を追加するなら、民間企業の海外での事業展開が関係してきます。日本のハード的な水インフラ技術は優れていると言われますが、世界的な潮流としてハード×(かける)ソフトによる新しいサービス展開が期待されています。今後は、未だに下水道インフラの普及率が低い地域を中心として、DXを活用した新しい下水道サービスの普及と導入が急速に進んでいくでしょう。その中には、少ない人的資本で広大な地域をマネジメントする技術も含まれます。

日本企業は今、国内の課題先進地域において、DX技術を活用した下水道サービスに挑戦しておかないと、今後、急速に発展する海外の水市場に参入する際に、海外製の統合DXシステムに太刀打ちできなくなる可能性もあります。DXサービスは規模が重要です。世界のデファクトスタンダードを取るつもりで、日本企業は今のうちに、デジタル技術という剣(つるぎ)を磨いておくべきだと思うんです。

高橋悠太氏
(横浜市環境創造局政策課下水道政策調整担当課長)

以後氏 おふたりの話はよく理解できます。DXは下水道事業者にとってはメリットになるでしょう。一方で下水道サービスを使うのは一般市民ですよね。だったら一般市民に訴求することが大事だと思うのですが、肝心の市民に下水道DXの必要性がどれくらい伝わっているのでしょうか。

税金を使って取り組む以上は、市民にお金がどう使われるかを伝える必要があります。「下水道DXやってます」と言うだけではなく、市民にもきちんとメリットを伝えてほしいと思います。

高橋氏 その通りですね。税金や下水道使用料で事業を実施している中で、下水道DXのメリットを伝えることは大切にしていかなければなりません。

横浜市では、同戦略をホームページで公開しています。まずは下水道事業の状況を知ってもらわないと、DXの必要性も伝わりませんから。同戦略では、デジタル技術を活用するとこう変わる、ということを図解で分かりやすく伝えるように工夫しました(図表2)。

図表2 「横浜下水道DX戦略」では、DXのある時とない時の違いをイラスト化し、DXのメリットを市民にも分かりやすく伝える工夫がなされている(提供:横浜市)

下水道に特化したDX戦略を公共下水道管理者として策定したのは、国内では横浜市が初です。これから取り組まれる自治体が出てくると思いますが、一自治体の一部署が個別にやっていっても日本全体のより良い下水道DXは実現できないと考えています。

横浜の下水道DXに関する取り組みについて積極的に情報を出していくことには、市民理解を得ることはもちろんですが、同時に、全国の様々な自治体、様々なステークホルダーがアイデアを持ち寄り、一緒に歩んでいく状況を作りたいという思いもあります。

下水道DXの現状

山村氏 DXによる業界変革のイメージ共有
高橋氏 戦略の当初4年間でDXの浸透と業務を改善

 ――下水道DXによって、運営効率を上げるなど下水道事業者にとってのメリットにとどまらず、下水道ユーザーにとってのメリットを創造してほしい。ひとりの生活者としては、そこにこそ期待しています。経済産業省が2020年にまとめた「DXレポート2 中間取りまとめ(概要)」にも、同様の記載があります。

DXには3つの段階があって、1つ目はアナログ・物理データをデジタルデータ化する「デジタイゼーション」、2つ目が個別の業務・製造プロセスをデジタル化する「デジタライゼーション」、そして3つ目が「デジタルトランスフォーメーション」、つまりDXです(図表3)。

そしてDXとは「組織横断・全体の業務・製造プロセスをデジタル化することと、顧客起点の価値創出のための事業やビジネスモデルを変革」することと位置付けられています。ですが、1つ目や2つ目の段階をDXと言っている事例も少なくないと感じています。

図表3 DXまでの構造(経済産業書「DXレポート2 中間取りまとめ(概要)」より)

以後氏 そうですね。DXは新しいイノベーションを伴うものであり、今までのやり方を思いっきり変えること。そうでないと本当はDXではないんです。

ですが最近の日本では、1つ目や2つ目のデジタル化もDXと位置付けるようになっていますね。デジタルを使っていればDX、というような…。本当はプラスアルファで新しい価値の創造などがあるべきなんです。

 ――山村先生は土木学会の上下水道におけるIoT・ICT・AI活用小委員会の委員長も務めておられ、上下水道分野でのデジタル技術の活用状況について調査研究されています。下水道分野のDXの取り組みの現状をどのように分析されていますか。本当のDXが進んでいるのか、また、本当のDXは志向されているのでしょうか。

 山村氏 DXによって、全く新しいシステムに塗り替わってしまうので、人が不要になったり、業務自体が消滅したりする可能性もあります。日本の人口は今後減少するので、効率化や省人化は進めないといけませんが、業界としては急激な変革は業界内でのハレーションを起こしてしまうため、今までのやり方を踏襲しようとする抵抗が働きます。

その一方で、デジタル化に向けた研究・開発は進んでおり、各社が様々なデジタル技術を活用した製品を発表しています。ただし、多くは従来技術をデジタル化したものなので、新しい価値を生み出していない場合が多く、このままデジタル化を進めて行っても、本来の意味での下水道DXには到達しないように感じています。

今後、下水道界でDXを進めていくには、DXにより新しく生まれ変わる業界のイメージをみんなで共有すると共に、それに向けて少しずつ、みんなに準備を進めてもらうことが大事だと感じています。

山村寛氏
(中央大学理工学部人間総合理工学科教授)

 ――横浜市の戦略は「DX」と謳っていますね。デジタル化とDXの違いをどのようにとらえておられますか。

 高橋氏 デジタル化とDXの違いを理解するのはとても難しい。横浜市では今までもデジタル化には様々に取り組んできました。そこから次はDXに取り組むとなった時に、ではDXとは何なのか。その理解を浸透させないといけないと感じています。

そのためには、例えば下水道でDXに取り組んだアクションが何をもたらしたか、そうした成功事例を1つずつ作っていくこと。そして、その先にどのようなゴールがあるのかを我々職員が理解することが重要だと思っています。それを可視化することもまた、同戦略を作った理由の1つです。

同戦略では「DXアクション」として、「マンホール蓋更新の最適化」「BIM/CIMの活用」など対象分野を挙げています。その中で具体的に取り組む手段には以後先生のおっしゃる本当のDXではないものも含まれるでしょうが、いきなりDXではなくても、まずデジタイゼーションから始めても良いと思っています。

目指すべきDXを見失うことなく「アジャイル※」にデジタル化に取り組んでいき、最終的にDXにたどり着く。それが重要です。その意味で2025年までの最初の4年間を1st STEPと位置づけ、DXの浸透と業務の改善を進めることとしています。

※英語の「agile」という単語で、「俊敏な」「素早い」などの意味。企画、設計、開発、構築の各段階で、試行と修正を素早く繰り返しながら、より使いやすく効果的なシステム、サービスをつくりあげる手法。

戦略とリーダーシップの必要性

以後氏 DXの推進にはリーダーシップが欠かせない
山村氏 国としての戦略・ビジョンが必要

 ――まちづくりの分野ではDXにどのような期待が持たれているのですか。

 以後氏 地域や人口規模で異なりますが、例えば多様な人が集中する都会では、人にとってのメリットが期待されます。人種の壁を超えるデジタル技術などがそれに相当します。

一方、人が少ない地方では、人の補い手としてデジタル技術を使って省力化し、サービスを提供する。そうすることで、地方と都会の格差をなくすことが期待できます。

ですが、DX化まで実現するのはなかなか難しい。デジタル化の取り組みはありますが、じゃあDXでまちの仕組みをガラッと変えられるかというと、そこまでは日本社会では難しいように感じます。

今あるモノをデジタル化し、DXするにはコストもかかりますし、しがらみもあり、企業や政治家も関わります。それでもやろうとするなら、強力なリーダーシップが必要でしょう。トヨタのウーブン・シティのような発想で、DXのまちを新しく創っちゃった方が早いと思います。

 山村氏 リーダーシップが必要というのは同感で、DX戦略なりビジョンなりを国が掲げる必要があります。

日本には水インフラに関するハードはそろっているので、小委員会では最近、ソフト面のデジタル技術、特にオペレーションシステムについて議論しています。

下水処理場の中央監視室には大きな画面があって(写真1)、処理場内のあちこちに設置された計測機器(写真2)からのデータが集まり、機器の運転を制御しています。素晴らしいデジタル技術なのですが、問題はそれがその処理場だけにカスタマイズされた一点ものだということです。

写真1 下水処理場の中央監視室(提供:横浜市)
写真2 下水処理場に設置された計測機器(提供:横浜市)

以後氏 オーダーメイドですね。

 山村氏 そうです。日本のほとんどの下水処理場は、そこに最適化されたPLC(Programmable Logic Controller)、いわゆるシーケンサで制御されているのですが、海外ではSCADA(スキャダ。Supervisory Control And Data Acquisition)によって、多数の多様なインフラの情報を1カ所に集めて監視し、制御していこうという動きがあります。

SCADAはウインドウズOSでも動かすことができ、必要に応じてアプリをダウンロードしたりもできます。もしPLCからSCADAへの移行が起こると、これまでのOSが変わってしまう。つまり日本の下水処理場で使われている制御システムは、世界で通用しなくなるわけです。

これってかつて携帯電話がiモードからiPhoneに置き換わった時と似ていませんか。あの時も日本企業は出遅れましたが、このままではまた同じように、日本の下水道業界が国内市場からも締め出されてしまいます。

世界的な変化をタイムリーにとらえ、DX化した時の将来の下水道の姿を思い描いたOSに変革していかないといけない。それこそが国が掲げるべきDX戦略、DXビジョンだと思います。

 ――横浜市では同戦略を策定することで、下水道事業者としてリーダーシップを果たしていこうという意欲を感じます。一方、自治体では実行することを重視して実行計画も策定することが多いと思いますが、今回はなぜ戦略だけだったのでしょうか。

高橋氏 戦略は、下水道事業のサービス向上の目標や方向性を定め、職員や関係者が共有するためのものです。その目標に向かっていくための具体的な施策や手段は新技術が開発されたりすれば柔軟に変化していくものですので、あえてアジャイルに選択できるように実行計画としては策定しませんでした。

 山村氏 市全体の戦略とも結びついていて、同戦略は非常に素晴らしい。そう思う一方、横浜市のように人も予算もある大都市だからできたのではないか。デジタル化の必要性はヒトとカネが少ない小規模自治体ほど高いのに、ヒトとカネが少ないがゆえに取り組めないのではないかと思えてしまいます。どれくらいの人数で作られたのですか。

高橋氏 下水道DXが必要な方向性やキーワードを洗い出す際はワーキンググループを立ち上げて職員10数名に参加してもらいました。事務局は3名だけです。

横浜市の戦略ではありますが、他都市で使えないわけではありません。下水道サービスとして求めるものが同じなら、自治体の規模に関係なく参考にしていただけるのではないかと思います。必要なエッセンスを活用し、DXの検討の労力を減らしていただけるとうれしい。そして、何か新しいエッセンスが出た時には、逆に我々が勉強させていただきたいです。

ベンダーロックからの脱獄

山村氏 ウォーターPPPでオープンソース活用が進む
高橋氏 人命がかかる領域への導入には慎重さも

 ――企業のDX化における失敗要素の1つに、予算超過があるそうです。下水道においても人員確保に加え、デジタル化、DX化のための予算はそれなりの規模になりそうです。やはり小規模自治体には少々荷が重いかもしれません。技術革新などでコストダウンできる方策はあるのでしょうか。

以後氏 DXはスケールメリットが大事な分野で、みんなが使えば使うほど価格は下がっていきます。携帯電話がそうですよね。使う人が増えたから安くなって、さらに多くの人が使えるようになりました。山村先生がおっしゃったように、下水道でもオープンソースのOSであればみんなが使えて安くなりますし、みんなで発展させることもできます。

この状況を実現するには、特定企業によるOSの独占を排除しなければなりません。そこが難しいところで、日本はやりたがらない企業や自治体が多いと感じます。

知名度の高いITベンダーにシステム構築を丸投げし、その子会社や孫会社に下請けに出され、最終的にそのITベンターにしか使えないシステムが出来上がる。更新する時にもそのITベンダーを使わないと何もできない。いわゆるベンダーロックになっているのが今の日本の状況です。

政府も方策を考えているようですが、うまくいっているとは思えません。オープンソースで安くできる。まずはそれを見せ、使う人を増やすしかないでしょう。

 ――オープンソースを使えばDXのコストダウンが期待できるが、OSはベンダーロックがかかっていて特定企業が囲い込んでいる。この課題は大きいですね。

山村氏 この問題を解くのは難しい。言ってみれば特定企業にシステムという人質を取られているようなもので、そのOSを使わないなら保守しないと言われたら、やっぱり同じ企業を使わざるを得ませんよね。

高橋氏 下水道インフラでは安全・安心なサービスを届ける中で、事故の発生は人命や財産への被害に結び付く可能性もあり、失敗することが極めて難しいところもあります。こういった点も考慮して、相対的に信頼性が高いシステムを継続して使う事もあると思います。

山村氏 住民に不便を強いる可能性があると考えると、あきらめる人は多そうですね。

 高橋氏 個人的にはオープンソースを活用したDXについては、合う分野と合わない分野があるように感じます。システムの話になってしまいますが、例えば下水処理場の中央監視室や、豪雨時にどのタイミングでポンプを動かして雨水を放流するか。こうした時間との勝負で判断が必要な領域には制御的に信頼性の高いシステムの導入を検討したくなります。一方、老朽化した施設の更新計画を立てるといった使い方には合うかもしれません。

やはり適用分野は慎重に考えたいですね。結果的に価格の違いは生じたとしても、オーダーメイドのシステムが一部残ることもあり得ると思います。

 山村氏 将来的に本当に予算が無くなって、下水道サービスが明日にも止まるという位まで追い込まれたら、おのずと一番安価なシステムを探し始め、海外のオープンソースやグーグルのオープンクラウドなどを導入する可能性はあると思います。サービスが停止するよりもましですからね。最初からあきらめてしまわず、選択肢として持っておくことは必要です。

そう考えると今後、予算的に厳しい小規模自治体からオープンソースが採用されていって、大都市が気づいた時には周りはみんなオープンソースを使っていたという未来が現実に来るかもしれません。

 以後氏 安全性と価格はトレードオフですから、難しい問題ですね。予算に対して、どれだけのシステムを求めるか。セキュリティーを高めれば、当然ながらカネはかかる。安全で安いものは難しい。仮に安いオープンソースを使ったとしても、安全性を担保するために検証作業を行えばコストアップしてしまいます。

目的と予算規模によって、自治体ごとに下水道DXの姿は変わってくるのかもしれません。横浜市や東京都のように予算がある自治体は、少しくらい高くても国内の名の通ったITベンダーに依頼する。一方、体力のない地方自治体は下水道サービスが止まるよりはいいという判断で、オープンソースを使ってなるべく安くシステムを構築し、とりあえず使ってみる。そういう自治体が出てくる可能性はありそうです。

山村氏 ベンダーロックという檻からの脱獄ですね。そうせざるを得ない自治体がこれから出てくると思いますよ。

以後氏 地方はとくにそう。若者が減り、高齢化は進む。それによって出てくる課題を解決するためには、間違いなく重要な手段の1つです。

 ――どれくらい先の未来に、そうした状況が現実になると想定されていますか。

 山村氏 今年6月に策定された「PPP/PFI推進アクションプラン(令和5年改訂版)」で「ウォーターPPP」が打ち出されました。上下水道や工業用水道については、その運営権を民間企業に移すコンセッション事業に段階的に移行するとされています。管理と更新の一体的なマネジメントを民間企業に委託する方式も含め、目標となる案件数は225件。その対象期間である今後10年間で状況が大きく動くと見ています。

上下水道のPPPではすでに、委託費が安すぎて受けてくれる企業が見つからずに不調となる案件が増えています。そのコスト感のままでウォーターPPPの目標である225件を達成するのであれば、企業側としては予算を絞りやすい電機周りを見直すしかない。つまり、海外製でもいいから安価で規格が統一されたOSやオープンソースを使うという提案が増えると思います。

仮にそうならなければ、受ける企業がいない、でも自治体も運営できない。下水道サービスは止まり、企業は収入が減る。共倒れです。

 ――広域化してスケールメリットを出すことはできそうですか。

山村氏 広域連携は広がるでしょう。ですがもともと体力のない自治体をまとめて民間委託に出しても、やっぱりビジネスとしての魅力は小さくて受ける企業は出てこないと思います。広域化したとしてもやはりオープンソースを活用せざるを得ないと考えています。

実効と実行への課題

山村氏 デジタルチェーンの分断を解消すべき
以後氏 ゲームチェンジャー的な技術開発に期待

 ――ひとりの生活者として、ヒト、カネ、安全性、ベンダーロックなど様々なハードルを乗り越えて下水道DXを実効的に社会実装し、下水道サービスを持続させていってほしいと思います。ですが「みんなでDXやるぞ!」というような、かつてのような普及率向上という同じ目標に向かっていたほどのエネルギーを感じません。
それはなぜなのか。山村先生が委員長を務めておられる小委員会では、どのような見方をされていますか。

 山村氏 小委員会では3つの課題を感じており、それを解決することを目的にしています。

1つ目は、水インフラ関係者のデジタルリテラシーの向上です。メーカーも事業体もAIを使えばどんな課題も解決できると考えている人がいます。AIが活用できる課題を見抜く力を自治体は持たないといけないし、企業もよく理解したうえで良い商品開発を行うことが求められます。

2つ目は、ビジョンの構築です。DX化された上下水道の姿を描かないと、ばらばらに技術開発が進み、ここにはDX製品があるのに、それを統合するシステムは誰も開発していないということが起こり得ます。デジタル技術が連結されたシステムをデジタルチェーンと呼んでいるのですが、今はそれが分断している状況です。

3つ目は、デジタル技術の進化が早すぎて、上下水道の研究者の勉強が追い付かないことです。ともすればチャットGPTで一気に解決できるのに、一昔前の技術を研究していることもあり得ます。実際のところ、チャットGPTでさえもひと昔前の技術になりつつあります。最新動向をフォローするためには、以後先生のような情報科学系の研究者ともっとコミュニケーションをとっていく必要があります。

これまでの検討を踏まえると、とりわけ2つ目のビジョン不在の課題が大きいと感じます。

 高橋氏 山村先生がおっしゃるデジタルチェーンの分断という課題が、とてもよく理解できます。横浜市もそうしたところはあって、だからこそ戦略の中でビジョンを見せ、それに向かっていく方策はアジャイルに改善していって、デジタルチェーンをつないでいこうとしています。

山村氏 今は各社がそれぞれ自社製品に特化してデジタル化を進めているので、メーカーが異なればポンプ場と処理場を連携できない。処理場の中で見ても、ばっ気装置はメーカーが違うから連携できない。だから、せっかく個別にデジタル化はできているのに、相互を連携するためにヒトが必要になってしまう。

高橋氏 そうですね。中央操作室は一元化されていても、個別の装置は異なるメーカーが作成する場合もありますね。

以後氏 他の業界も同じような状況です。この技術はこの企業だけというのがいっぱいあって、本当はそれらをつなげる標準規格が必要なんですけど、とてつもない労力が必要だからできていません。

パソコンの場合はウインドウズOSが出て、徐々にOSの規格が固まってきました。同じように、ゲームチェンジャー的な画期的な製品が開発されれば、それにつなげればどの企業の装置も制御できるようになって、いずれはその規格に合わせて商品が開発されるようになるかもしれません。

山村氏 それが先述したOSの統一です。小委員会でも統一OSの必要性について議論しています。

求められる人材と未来像

以後氏 情報系人材の評価を上げるべき
山村氏 現場の専門家はAIで置き換わらない

 ――山村先生がご指摘されていたように、これからの下水道分野にはもっとデジタル人材が必要だと思います。かといってデジタルの知識だけでは汚水処理を制御できないでしょうし、下水道サービスを持続できないとも思います。この後、どのような人材が必要なのでしょうか。

 山村氏 下水道のプロフェッショナルの定義が変わるような気がしています。先日、チャットGPTに技術士の試験を解かせたら、合格レベルの回答が返ってきました。知識があるだけではプロではないし、AIにも勝てない。とはいえ、これからも間違いなく人間の専門家は必要です。

まず情報技術の専門家です。そして、やっぱり処理の現場にも専門家が必要です。AIは五感に置き換わるかもしれませんが、その方々はAIで置き換えることができない現場感というか、第六感を持っていると思います。災害対応や、人間を相手にする料金値上げ、地域住民との協働なども人でなければできないでしょう。

他はAIに置き換わってもおかしくありません。そうなった時こそ現場感が大事ですから、AIを研究する学生にも、必ず現場に行くように指導しています。

以後氏 確かにすべてをデジタルで完結すると不具合が出やすいので、現場の声を聞くことは大事です。そのためもあってコミュニケーション能力、チームビルディングなどが講義に取り入れられるようになっていると感じます。

 ――大学教育にも変化が出始めているようですね。

 山村氏 まだまだ試行錯誤中ですが、暗記したらテストで点が取れるような教育はもう終わりですね。

一方、下水道は整備されているからもうやることがないと思われていて、下水道で働きたいという学生が減っていることに危機感を持っています。ですから教育機関として、下水道界に優秀な若い人材を送り込むことも重視しています。

学生の関心を集めるには、横浜市の下水道DXのような最新の状況を学生に教え、下水道にはまだまだ未来があると伝えないといけない。今の教育は昔のことを教えますが、これからのことも教えるべきです。

その点、情報系は学生が集まりますよね。

以後氏 そうですね。政府としても情報系学科の学生の定員を増やす方向性ですし、工学部ではデータサイエンス教育が基本になってきています。そうすることで短期的には情報系の人材は増えるでしょうが、それを継続するには彼らの価値を日本企業がどう考えるかが重要です。

日本では情報系の人材に対する評価はそれほど高くないですし、賃金も高くありません。給与は海外と一桁違います。情報系の大学院を出た学生は、海外では初任給が2,000~3,000万円あるのに、日本では400万円ということもあります。

この社会の仕組みを変えていかないと、せっかく情報系の人材を育てても海外に流出してしまいます。人材育成だけではなく、育てた人材をどう活用するかまで考えるべきです。

高橋氏 以後先生にぜひ伺いたいのですが、私のような中年層のデジタル教育にはどう取り組めばよいでしょうか。

 以後氏 マネジメント世代がデジタル技術の新しいことをすべて学ぶ必要はないと思います。デジタル技術が分かる人材が入社してくること、従来の下水道分野で接してきた人材とは発想が異なることを理解し、うまく活用する。そのために人材の特性を把握する能力を鍛えることが大事だと思います。

 ――それでは最後のまとめに代えて、皆様が思い描くDX化された下水道の未来像をお聞かせください。

高橋氏 Society5.0では仮想空間と現実空間が融合し、必要な情報が必要な時に得られる社会が想定されています。下水道事業においては、携わるヒトの成長とDXによるサービス向上が融合される形を目指したい。そのためには各都市の成功事例が共有され、それを発想の種として新たなDXや価値が生み出されて、課題や困難を克服できるようにしていく。これが私の描くDXによる下水道の未来像です。

山村氏 世界市場に攻め入ることができ、世界で戦える日本企業が育っていることです。 下水道業界は、税金と使用料で運営される安定した国内の公共事業があるので、外貨を稼ぐモチベーションがどうしても生まれにくい。今後は、下水道事業の持続に向けたさらなる税金投入や料金値上げが予想されていますが、このままでは、業界の健全性を維持できたとしても、将来的に国民が疲弊し、国力を下げることになってしまいます。

下水道業界が、日本を代表する外貨を稼ぐ産業として国民から認識されることで、下水道事業への税金投入や料金値上げも容認されやすくなります。今後は国内の公共事業だけでなく、外貨を稼ぐ「産業」として業界を育成していくべきです。その時のキーツールのひとつがOSを中心としたハード×ソフトの連携です。日本国内での競争ではなく、世界市場での共創を見据え、世界に通用する統一オペレーションシステムを国内で展開しながら、デジタルチェーンを構築してほしいです。

 以後氏 下水道DXは不要と思っていましたが、皆さんの話を伺って必要だと思えてきました。DXをしないと訪れるであろうダメな未来をDXでいい未来に変えられる余地は多く、また、海外展開もできそうですから、DXによる発展性がある業界だと感じます。

ですが下水道DXを実現するには、従来の下水道業界の人だけでは恐らく難しい。我々のような情報系、デジタル系、その他のいろんな業界とも連携し、融合し、新しい知恵が必要です。ぜひ一緒にがんばっていきましょう。

 ――本日はありがとうございました。

左から以後氏、高橋氏、山村氏、編集長:奥田早希子

環境新聞への投稿をご厚意により転載させていただいております