文化や歴史を今に残し、普遍的な価値を持つ景観や環境であるとして、ユネスコが決定する「世界遺産」。その決定のしかたや、世界遺産になることの意義とは?ユネスコの助言機関であるICOMOSの会長も務めた、九州大学の河野俊行教授に、そんな世界遺産へのギモンや、水と世界遺産の関わりについて質問してみました。
世界遺産登録の条件とは
―世界遺産とはどうやって決まるものなのでしょう?
まず世界遺産への登録を希望する国から推薦書がユネスコに提出されます。そして世界遺産委員会が登録するかどうかを決定しますが、審査には専門的な知識を要するため、助言機関が必要となります。世界遺産には自然遺産と文化遺産、そしてそのふたつを組み合わせた複合遺産がありますが、自然遺産はIUCN(国際自然保護連合)、文化遺産はICOMOS(国際記念物遺跡会議)という助言機関が、それぞれ事実上の審査を行っています。
実は、ユネスコの世界遺産条約で決められている条件とは”顕著で普遍的な価値(Outstanding Universal Value)”があるということだけです。この価値について、“完全性は満たしているか”、”真実性はあるか”、“管理体制は十分か”という観点と並んで、文化遺産の場合は”6つの登録基準に該当するか”、という観点からICOMOSの世界遺産パネルが審査します。このパネルは、世界の地域を網羅するよう構成されます。10の審査基準を設けて、各国のパネリストが精査しています。現地への視察スタッフなど関係者を含めると、ひとつの世界遺産登録に計60〜70名が関わっています」。
歴史的なストーリーも大切な要素
―現在、世界遺産は1000を超える数が登録されています。世界遺産条約が採択された当時と現在で、変わってきた部分はありますか?
採択の発端となったのは1960年代のエジプトのアスワンハイダムの建設計画です。このダムの建設によって、古代エジプト文明の遺跡であるヌビア遺跡が水没してしまうかもしれないという危機が明らかになり、その世界的な救済キャンペーンが行われました。このときに“世界共通の遺産”という考えが浸透していったのです。1972年の採択当時は、ラリベラの岩窟教会群(エチオピア)やアーヘン大聖堂(ドイツ)など、誰が見ても大事だと感じられるものが多かったのですが、徐々に単体の遺跡だけでなく、複数の要素から構成されるもの(シリアルノミネーション)が増えてきました。日本でいえば潜伏キリシタン関連遺跡や富岡製糸場もそうですが、その場所をつくりあげた周辺地域の文化や、歴史のストーリーが大事になってきているのです。
水にまつわる世界遺産でいえば、ドイツの“アウグスブルグの水管理システム”がいい例だと思います。水を使う場所だけでなく、給水地となる水源や、水を運ぶ運河など、水を管理するシステムそのものが世界遺産に含まれているのです。
実は世界遺産の登録数が200を超えたあたりから、“数が多すぎるのではないか? ”という議論が行われてきましたが、個人的には増えるのはいいことだと思います。世界遺産は決してお宝をつくるためだけに登録するものではありません。もちろん、観光資源にしていこうという国や地域のモチベーションはあると思いますが、観光客が多すぎて場所が荒れるようなら制限を勧告しますし、やたらとホテルや土産物屋といったものを建てることもできません。大事なのは、それを世界的に価値があるものとして保持し、管理していくのを国が約束する、ということですから。
身近な場所も世界遺産の候補
―世界遺産から、私たちはどんなメッセージを受け取っていけばいいのでしょうか?
世界遺産とは、目に見える歴史そのものです。本で読むだけでなく、まさにその本物が目の前にある。世界遺産の意義の第一はそれだと思います。そして世界遺産は、世界史の教科書に載っていなくても、大切な人類史のサンプルなのです。“世界にはこんな文化があったんだ””こんな歴史があったんだ”と気づいてもらうことが、世界遺産の大事なメッセージです。だから、もし訪れる機会があるなら、できるだけその場所について調べてから訪れてほしいと思います。
また世界遺産には、かつてその地に暮らした人々には日常的で当たり前だったものがたくさん登録されています。2019年に文化遺産に認定されたオーストラリアの”バジ・ビムの文化的景観”は一見普通の湿地帯ですが、実は先住民・グンディッジマラ族の人々によって約6600年前に開発された世界最古の水産養殖地です。この景観は彼らの子孫によって保存・伝承が行われており登録へと至りました。もしかしたら、いま自分が住んでいる場所も意外な歴史や由来があって、のちに貴重なものになるかもしれない。そういう目線で自分の身の周りを観察してみると、きっと愛着が湧いてくると思います。
三池港
福岡県大牟田市にある三池港は、その築港によって石炭を海外へ直接輸出することが可能となり炭鉱業の躍進の一翼を担ったとして「明治産業遺産の構成要素」のひとつに登録された。歴史的に水はインフラ、芸術、産業、さまざまな分野で活用されたことが世界遺産からも知ることができる。
バジ・ビムの文化的景観
オーストラリア・ビクトリア州の南西部に位置するバジ・ビムは、先住民Gunditjmara(グンディッジマラ族)の人々が約100平方キロメートルにわたりウナギ漁の仕掛けや堰など、複雑なシステムを用いて養殖を行ってきた歴史があり、グンディッジマラ族の子孫によって伝えられ、文化的景観の価値が認められた。
良渚古城遺跡 (By Siyuwj/CC BY-SA 4.0)
2019年に世界遺産に登録された、紀元前3300~2300年頃に中国・長江下流域で栄えたといわれる「良渚文化」を示す遺跡。稲作を行い、ダムを作るなどで水の管理システムを確立していたのだとか。
ペトラ遺跡 (By Tousleso<2010>/CC BY-SA 3.0)
映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』の舞台となったことで知られるヨルダンの遺跡。東西が交わる地であるため交易で栄え、高度な水工学を持っていたと考えられる。画像はライオンを模した噴水。
アウグスブルグの水管理システム (By Reinhardhauke〈2006〉/CC BY-SA 3.0)
ドイツ・バイエルン州。ダムや運河、水路、水道、水門などを整備し、上水と中水(生活・産業用水)を分けて供給するなど、高度な水管理システムを持つ都市として発展。関連する22施設が登録されている。
ラニ・キ・バブの階段井戸 (By Bernard Gagnon〈2013〉/CC BY-SA 3.0)
西インドからパキスタンにかけて発達したという階段状に掘られた井戸。パキスタンの国境近くにあるこの階段井戸は、約1500ものレリーフに覆われている。長い時間をかけて保存・修復作業をして世界遺産となった。
ティボリのヴィラ・デステ(By Dnalor_01<2005>/CC BY-SA 3.0)
ローマ郊外にある枢機卿を務めたエステ家の別荘。水をコントロールすることで500にも及ぶ芸術的な噴水を設けるなど、ルネサンス期を代表する美麗な庭園。傑作であることに加え、後世にも多くの影響を与えた。
ロワール渓谷 (By Thomas Steiner<2003>/CC BY-SA 3.0)
フランスで最も長いロワール川は、水路の発展によってその沿岸が栄えた。特に中流域には王侯貴族が140もの城を建設するなど、栄華を極めた。写真はその中でもルネサンス様式の名城であるシャンポール城。
『水を還すヒト・コト・モノマガジン「Water-n」』vol.13より転載(発行:一般社団法人Water-n)