僕たちが売っているのはビールではありません
1994年の酒税法改正で、小規模な事業者にもビール製造が許可されるようになり、地域ごとに特徴のある、いわゆる「地ビール」が全国各地で製造されるようになった。株式会社横浜ビール(横浜市中区)はその発祥と言われる。直営店であるレストラン「驛の食卓」(うまやのしょくたく。横浜市中区)では、店舗1階で醸造されたできたてのクラフトビールを常時7種類、季節ごとに限定ビールも楽しめる。
取材に訪れたのは平日の11時。ランチタイムが始まる11時半に店がオープンすると、続々と客が訪れ、テーブルはどんどん客で埋まっていく。平日の日中にも関わらず、ビールの飲み比べセットを注文する人もいた。彼らのお目当ては、もちろん横浜の地ビールと、そして横浜市内を中心に神奈川県下から集められた食材で丁寧に調理された料理たちだ。
しかし、取材に対応してくれた同社マーケティング・メディア部の横内勇人部長は「僕たちが売っているのはビールではありません」と笑顔でおっしゃった。
ん? ビール屋さんなのに、ビールを売っていないとは、一体どういうことなのか……? 真相を知るヒントは、テーブルに置かれていたチラシにあった。
生産者の思い、地域の良さを集めて、伝える
例えば、レギュラービールの1つ、エールタイプの「瀬谷の小麦ビール」のチラシには『横浜市瀬谷区の岩崎農園さんの新麦を使用』と、商品名に次いで大きな文字で書かれている。『岩崎さんの「瀬谷で小麦が作られていることを地元の人にもっと知ってほしい」という思いに横浜ビールが共感し、このビールが誕生した』と続く。
「瀬谷区にはかつて70世帯の小麦農家がありましたが、今は1世帯だけに減りました。その1世帯のことを伝えたい」と横内部長は言う。「『道志の湧水仕込』(レギュラービール、エールタイプ)は、横浜の水道水の水源である道志村の湧水を使っています。道志村は過疎化が進んでいるのですが、水も自然もとてもきれいな村です。そのことをビールを通して伝えたいんです」(横内部長。以下同)
お分かりいただけただろうか。キーワードは「伝える」だ。同社の仕事は、ビールや料理の原材料となった「地域」のこと、ビールや料理ができるまでに携わった生産者など「人」のこと、それら人の「思い」を伝えることだ。そのために、種まきや収穫を手伝うなど、なるべく密接に生産者や地域と関りを持つ。そして、その関りを通して感じたことを、さらに伝える。感情や情報を集めて、伝えて、拡散する。その取り組みは、地域メディアとも言える。
2018年8月からは、麦芽の皮の残滓や残飯を市内の廃棄物処理会社である横浜環境保全でたい肥化し、そのたい肥「ありが堆肥」を道志村に持ち込んで野菜を育て、収穫された野菜をレストランで提供するという、名付けて「フードループ」活動をスタートさせた。
「もともと道志村の農家さんは自家消費するくらいの量しか栽培していませんでした。フードループで収穫した野菜はなるべく全量を当社が買い取りますので、安心して栽培量が増やせ、雇用創出にもつなげられるのではないかと思っています」
「ビストロ下水道って抵抗あったけど、理念に共感しました」
そんな同社が新たに注目したのが、下水汚泥から作られたたい肥で農産物を栽培する「ビストロ下水道」という取り組みだ。おいしいのか不味いのかが混乱するネーミングだが、国土交通省下水道部が力を入れているれっきとしたムーブメントである。
台所や風呂、トイレなどから排出された水は、川や海などに還される前に下水処理場で浄化される。その過程で発生するのが下水汚泥で、資源価値の高い「バイオマス」を多く含む。肥料としての効果のほか、燃料ガスや固形燃料としてのポテンシャルも秘める。
年間の発生量は230万トン(乾燥重量)ほど。かつてはほとんどが埋め立て処分されていた。最近は70%以上がリサイクルされるようになったが、建設資材などへの利用が多く、バイオマス利用は31%にとどまる。バイオマスのポテンシャルを最大限に引き出せる用途開発を進めようというのが、ビストロ下水道のねらいだ。
汚泥肥料のほか、下水処理水にもバイオマス成分が含まれるし、下水熱はビニールハウスの空調にも利用できる。そうして育てられた農産物は「じゅんかん育ち」と呼ばれ、例えば山形県鶴岡市では下水処理水で飼料用米を栽培したり、佐賀市では有明海のノリ養殖に活用されたりしている。自分たちの体から出たものが下水道→川→海→雨→野菜となって私たちに戻ってくる。フードループの理念に通ずるものがある。
8/6-8/9、横浜ビール×下水道メニューを味わえる
「驛の食卓」では8月6日(火)から9日(金)までの期間限定で、「じゅんかん育ち」を使った「驛のポテトサラダ」などを堪能できる。
この企画の仕掛け人は、下水道PR団体である下水道広報プラットホーム(GKP)。同期間中に店舗近くのパシフィコ横浜で、下水道の新技術が一堂に会する「下水道展’19横浜」が開催されることを受け、農産物のストーリー性を重視し、かつ循環という共通テーマを持つ同社に企画メニューを提案した。
「いきなり『ビストロ下水道』と聞いたときには、正直、抵抗がありました。ですが、活動の理念やGKPの方の熱い思いを知り、やってみようと思いました。『じゅんかん育ち』であれば、行けるかな、とも(笑)お客様も最初は抵抗感を持つかもしれませんが、取り組みを理解すれば緩和するはず。きちんと伝えたいです」
横浜に遊びに行った人、下水道展に行った人はぜひ「驛の食卓」で「じゅんかん育ち」を召し上がれ!